河村勇輝の経歴やプロフィールを紹介!高校でウインターカップ2連覇!インカレも優勝

河村勇輝 経歴 プロフィール

NBAメンフィス・グリズリーズとツーウェイ契約を結んでいた河村勇輝選手が、2024年10月26日(日本時間)の敵地ロケッツ戦に途中出場し、待望のNBAデビューを飾りました。

河村勇輝選手は、学生時代に福岡第一高校でのウィンターカップ2連覇や、東海大学でのインカレ優勝という素晴らしい成績を残し、18歳でのBリーグデビューを果たしています。

そんな、日本のバスケットボール史に刻まれる輝かしい実績を持つ彼は、どんな道を歩みNBAの舞台に辿り着いたのでしょうか。

今回は、河村勇輝選手のプロフィールや、経歴を詳しく掘り下げながら、彼のバスケットボール人生に迫ります

この記事を読めば、河村勇輝選手の基本情報や、これまで歩んできた道のりを詳しく知ることができるので、ぜひ最後までご覧ください。

今季のNBA観戦をさらに楽しめるようになるはずです。

河村勇輝がNBAグリズリーズとツーウエー契約を締結!

2024年10月20日、NBAのメンフィス・グリズリーズが河村勇輝選手とツーウェイ契約を結んだことを発表しました。

NBAのツーウェイ契約とは、基本的にGリーグ(NBAの下部組織として機能する育成リーグ)でプレーしながら、レギュラーシーズン中に最大50試合までNBAの試合に出場できるというものです。

昨シーズンまでNBAでプレーした渡邊雄太選手(現・千葉ジェッツ)も、ジョージ・ワシントン大学卒業後、グリズリーズとツーウェイ契約を締結し、NBAのコートに立つきっかけを掴んでいます。

ちなみに、これまでNBAでプレーした日本人選手は以下の3選手です。

  • 田臥勇太選手(現・宇都宮ブレックス):2004年にサンズと契約した、日本人初のNBAプレーヤー
  • 渡邊雄太選手(現・千葉ジェッツ):2018年にグリズリーズと2WAY契約を結んだ、日本人2人目のNBAプレーヤー
  • 八村塁選手(現・レイカーズ):2019年にドラフト1巡目指名でウィザーズに入団した、日本人3人目のNBAプレーヤー

今季開幕2戦目でNBAデビューを果たした河村勇輝選手は、八村塁選手に続く日本人4人目となるNBA選手となりました。また、Bリーグ出身選手としては初のNBA選手となります。

NBAデビュー戦では3分34秒という短い出場時間ながら1アシストを記録しており、NBA初得点への期待も高まってきました。

河村勇輝のプロフィール

河村勇輝選手のプロフィールは以下の通りです。

  • 名前:河村 勇輝(かわむら ゆうき)
  • 生年月日:2001年5月2日
  • 年齢:23歳(2024年10月時点)
  • 身長:172cm
  • 体重:72kg
  • 出身地:山口県柳井市
  • 出身校:東海大学
  • ポジション:PG(ポイントガード)
  • 所属チーム:メンフィス・グリスリーズ(NBA)

2001年5月2日生まれ、山口県柳井市出身。

6歳の時、バスケットボール選手だった父親の影響でバスケットボールに触れ、小学校2年生から地元のミニバスケットボールクラブに所属して本格的にプレーを始める。

その後進学した福岡第一高校高校では全国大会を4度制覇。ウィンターカップでは2連覇を達成し、ベストファイブに2年連続で選出されている。

2020年に東海大学に進学し、インカレ優勝に貢献。「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN 2020」に選出されるなど、今後の日本バスケットボール界をリードする選手として注目を集める。

2022年、横浜ビー・コルセアーズに加入。2022-2023シーズンにはBリーグ史上初の新人王とMVPの同時受賞を果たし、2024年にはNBAのメンフィス・グリスリーズとツーウェイ契約を結んだ。

河村勇輝の学歴

ここでは、河村勇輝選手の学歴を紹介していきます。

  • 柳井市立柳井中学校
  • 福岡第一高等学校
  • 東海大学

それぞれの学校でのエピソードとともに、学生時代の活躍をみていきましょう。

柳井中学校時代はキャプテン

2014年の春、河村勇輝選手は柳井市立柳井中学校に入学しました。

入学と同時に柳井中バスケ部に入部した河村勇輝選手でしたが、当時の目標は「中学日本一」や、「将来NBAプレーヤーになる」というものではなく、「バスケと勉強を両立させること」でした。

幼少期から身長が低かった河村勇輝選手は、「バスケットボール選手としての未来はない」と思い、現実的な目標に集中するようになったといいます。

「部活動で日本一になることでなく、バスケと勉強を両立することが目標でした。姉たちが通う地元の進学校に入って、教育系の国立大学に進学して、体育の先生になりたいと思っていたんです」

引用:asics

河村勇輝選手が入学した当時の柳井中バスケ部は、県大会で1〜2回勝てる程度の実力。部活の顧問は同校の教員でもある父・吉一(よしかず)さんが務めていました。

1年生の頃からスタメンとして試合に出場していた河村勇輝選手は、部活と勉強を両立させる日々を過ごします。

塾通いは週に3回。学校のテストでは200人ほどの同級生の中で1ケタ台の順位をキープしていたといいます。

河村勇輝画像引用元:月刊バスケットボールWeb

中学2年生になった河村勇輝選手は、その後のバスケ人生を変えていく経験をします。

県大会の決勝にまで勝ち上がり、自身初となる中国大会に出場した予選リーグの1回戦。岡山の玉島北中バスケ部に40点差をつけられ惨敗します。

この試合で、中学No.1プレーヤーと称されていた選手とマッチアップした河村勇輝選手は、試合結果とは裏腹に、バスケットプレーヤーとしての希望を見出しました。

「試合トータルで見れば自分は何もできなかったんですけど、ディフェンスでちょっとボールをはじいたり、個人で打開できる時間もありました。もっとがんばれば、彼と同じくらいとまでは言わなくても、全国で通用するような選手になれるんじゃないかと思ったんです」

引用:asics

この大会後、新しい代のキャプテンに就任した河村勇輝選手は、「全国大会ベスト16」という高い目標を掲げ、中学生活最後の1年に臨みます。

キャプテンとなった河村勇輝選手は、部員たちとのコミュニケーションを大切にし、チーム全員のモチベーションを上げることに力を注ぎました。

そして、柳井中学校は、県大会、中国大会をを突破して全国大会へ出場。さらに、全国大会の予選リーグを突破し、目標として掲げた「全国大会ベスト16進出」を果たすのです。

大会終了後には、河村勇輝選手のもとに全国屈指の強豪校でもある福岡第一高校からスカウトが届きます。

地元の進学校への受験を考えていた河村勇輝選手でしたが、「もっとバスケを頑張りたい」「バスケで日本一をとってみたい」という気持ちが湧き上がり、福岡第一高校への進学を決断するのです。

福岡第一高校でウインターカップ2連覇

福岡第一高校の井手口監督にスカウトされた河村勇輝選手は、全国でも名門校として知られる福岡第一高校へ進学しました。

1年生からレギュラーを勝ち取った河村勇輝選手は、同年の冬に開催されたウィンターカップで先発ポイントガードに抜擢。1年生らしからぬ堂々としたプレーで周囲の視線を釘付けにしました。

福岡第一高校に河村勇輝選手をスカウトした井手口監督は、「河村は練習が好き。お正月も帰省せずに練習します」と、そのストイックな姿勢を高く評価しています。

河村勇輝画像引用元:Basketball King

高校2年生になると、U16、U18の日本代表としてアジアカップにも出場。

この年のウィンターカップでは、福岡第一高校に2年ぶりの優勝をもたらす立役者となり、2年生の中で唯一となる「大会ベストファイブ」に選出されています。

高校3年時には、不動の司令塔としてインターハイ優勝とウィンターカップ連覇を達成。

さらに、天皇杯で千葉ジェッツと対戦した際には、プロ相手に21得点10アシスト6スティールを記録し、“河村勇輝”の名を全国に知らしめました。

「特に千葉ジェッツ戦が終わってからは、福岡第一も個人的にもすごく注目されて、一つひとつのプレーを見られているなという気もしたし、試合でも福岡第一のバスケットを40分間しないとダメなんじゃないかとか、いろんなプレッシャーがありました。本当に周りのチームメート、サポートや声援があったので乗り越えられました」(河村勇輝)

引用:BASKET COUNT

また、東海大学進学前には、三遠ネオフェニックスの特別指定選手としてBリーグデビューを果たし、史上最年少出場・史上最年少得点を記録しています。

東海大学中退もインカレで優勝

東海大学に進学した河村勇輝選手を待っていたのは「コロナ禍」という試練でした。

大学は休校となり、大会や練習試合だけでなく、チームが集まっての練習さえ禁じられてしまいます。

東海大学のバスケットというのは1年間かけてじっくりとチームを完成形へと作り上げる。いわば芸術品です。

だからこそ戦術、連携、個人のスキルなど、あらゆるクオリティが高いことで知られていました。

そこへいきなりの自粛。

ましてや僕は1年生で加入したばかりなわけですから、ポイントガードとして戦術を理解してコートの中でチームや選手を操ることに関してはかなりネガティブな状況でした。

引用:Citta

しかし河村勇輝選手は、この逆境をポジティブにとらえ、バスケットIQや、課題だったフィジカルを磨き上げていきます。

自分の身体ととことん向き合った期間は、河村勇輝選手をさらに成長させ、大学1年生時のインカレでは見事に優勝を果たしました

河村勇輝画像引用元:Basketball King

大学2年となった河村勇輝選手は、関東大学リーグで優秀選手賞とアシスト王を受賞。さらに、インカレでは準優勝とアシスト王を受賞しました。

その後、2022年2月に初の日本代表に招集された河村勇輝選手は、東海大学2年の課程を全て終えた2022年3月に大学を中退。横浜ビー・コルセアーズとのプロ契約締結を発表します。

「日本代表に入りたい。このW杯だったりパリ五輪に出るには、早めにBリーグという国内最高峰の所で結果を残してアピールすれば…。一番近い道だと思った」

引用:中日スポーツ

大学中退という大きな決断をした河村勇輝選手は、この後、オリンピック出場、NBAへの挑戦と、世界の舞台へと活躍の場を移していくのです。

河村勇輝のプロ経歴

ここでは、河村勇輝選手のプロでの経歴を紹介していきます。

  • プロデビューはB1リーグ史上最年少の18歳
  • 横浜ビー・コルセアーズに入団
  • 日本代表に招集
  • Bリーグでの受賞歴
  • NBAのメンフィス・グリズリーズと契約

プロデビュー後、NBAまでの階段を一気に駆け上がる、河村勇輝選手の成長速度に注目です。

プロデビューはB1リーグ史上最年少の18歳

福岡第一高校時代、4度の全国制覇とウィンターカップ2連覇を成し遂げた河村勇輝選手は、高校バスケを引退した後もその歩みを止めません。

2020年1月には「三遠ネオフェニックス」の特別指定選手としてBリーグの舞台に立つと、デビュー戦で当時のB1リーグ最年少出場記録と最年少得点記録(18歳8ヶ月23日)を更新します。

河村勇輝画像引用元:aispo

河村勇輝選手は、“高校時代の栄光は忘れ、プロの世界で新たなスタートを切る”という覚悟をもち、背番号「0」を選び、プレーしました。

「日本一など、高校の成績は過去の栄光にすぎない。それをすべて忘れて、しっかりプロの立場でゼロからスタートしよう」

引用:aispo!web

大学進学までの約2ヶ月間をプレーした河村勇輝選手は、計11試合に出場。平均12.6得点3.1アシストを記録し、Bリーグの新人賞ベストファイブにも選ばれています。

横浜ビー・コルセアーズに入団

河村勇輝選手が「横浜ビー・コルセアーズ」に入団したのは、東海大学1年生の時。2020年12月19日に、特別指定選手として入団することが発表されました。

2020-2021年シーズンは16試合に出場すると、平均6.0得点、2.3リバウンド、3.4アシストを記録し、シーズン新人賞ベストファイブに選出されています。

河村勇輝画像引用元:Basketball King

さらに大学2年時の2021年12月20日、再び横浜ビー・コルセアーズに特別指定選手としての加入が発表されます。

2度目の入団となった2021-2022年シーズンは、主力級の活躍でチームを牽引。

1月にはキャリアハイの26得点をマークするなど、平均14.4得点8.4アシストで1月度のBリーグ月間MVPを受賞しました。

そして、2022年3月に東海大学中退を決意した河村勇輝選手は、横浜ビー・コルセアーズと翌シーズンからのプロ契約を結ぶこととなるのです。

日本代表に招集

まずは、河村勇輝選手の代表歴を年代順に見ていきましょう。

年代 代表チーム
2017年
  • U-16日本代表
2018年
  • U-18日本代表
2019年
  • U-20日本代表
2021年
  • U-22日本代表
2022年
  • FIBA ワールドカップ予選
  • FIBA アジアカップ2022
  • SoftBankカップ
2023年
  • FIBA ワールドカップ予選
  • 国際強化試合
  • SoftBankカップ
  • FIBA ワールドカップ2023
2024年
  • FIBA アジアカップ予選
  • 日本生命カップ
  • SoftBankカップ
  • パリオリンピック

ユース時代の2017年から、年代別の日本代表に選出されてきた河村勇輝選手は、2022年2月に日本代表(A代表)に初招集

同年7月に行われたワールドカップアジア予選、Window3の台湾戦でA代表デビューを果たしました。

そして、2023年開催のワールドカップにチームの主力として臨んだ河村勇輝選手は、卓越したスピードとテクニックを武器に躍動。

日本のパリオリンピック出場権獲得に大きく貢献しています。

2024年のパリオリンピックでは、司令塔としてチームを牽引。強豪フランスやドイツなどを相手にマークした平均20.3得点、7.7アシストは、ともに全体3位の記録となり、その存在を世界にアピールしました。

Bリーグでの受賞歴

河村勇輝選手のBリーグでの受賞歴は以下の通りです。

シーズン 受賞歴
2020-2021年
  • 新人賞ベストファイブ
2021-2022年
  • 月間MVP(1月)
2022-2023年
  • レギュラーシーズンMVP
  • レギュラーシーズンベストファイブ
  • 新人賞
  • アシスト王
  • レギュラーシーズン最優秀インプレッシブ選手
  • 月間MVP(12月)
  • オールスター
2023-2024年
  • レギュラーシーズンベストファイブ
  • アシスト王
  • オールスター

河村勇輝選手は、2022年にプロ転向を果たすと、2022-2023年シーズンにはBリーグ史上初となる新人王とMVPの同時受賞を含む個人6冠を達成

翌2023-2024年シーズンは2年連続となるアシスト王、ベストファイブに選出されています。

NBAのメンフィス・グリズリーズと契約

2024年、23歳になった河村勇輝選手は、NBAに所属するメンフィス・グリズリーズとの“エグジビット10”契約に合意し、トレーニングキャンプに参加していました。

※エグジビット10契約とは、最低年俸・無保証での契約でシーズン開幕前にキャンプに参加し、2Way契約に切り替えることが可能となる契約内容のこと。

開幕前のプレシーズンゲームでは全5試合に出場し、1試合平均15.1分の出場時間で3.4得点、4.2アシストを記録するなど、印象的なプレーを見せた河村勇輝選手。

当初は、Gリーグ(NBAの下部組織として機能する育成リーグ)のチームと契約するとみられていましたが、プレシーズンゲームでのアピールが高く評価され、メンフィス・グリズリーズとの“ツーウェイ契約”に昇格となりました。

河村勇輝画像引用元:Number Web

プレシーズンゲームを終えた河村勇輝選手は、NBAレギュラーシーズンのコートに立つことへの熱い思いを次のように語っています。

「今も本当に夢のような時間を過ごさせてもらってはいるんですけど、でもやっぱりこうやってチームメイトといっしょに練習したり、いっしょにプレーしてみて、プレシーズンじゃなくてシーズン中の本当の試合でコートに立ちたいなっていうふうにより感じるようになってます。逆に、本当に簡単ではないっていうのもわかってますし。それもわかった上での挑戦で、それを覚悟で渡米してきたので、本当に簡単なことでは自分の気持ちは折れないというか。本当にすべての出来事に対して正しく向き合って、成長して、いつか必ず(NBAレギュラーシーズンの)コートに立てるように頑張りたいなと思ってます」

引用:Number Wweb

そして河村勇輝選手は、18歳でのBリーグデビューからわずか5年で、憧れ続けたアメリカNBAの舞台に立つこととなるのです。

まとめ

今回は、NBAメンフィス・グリズリーズとツーウェイ契約を結んだ、河村勇輝選手の経歴やプロフィールを詳しく紹介してきました

この記事でのまとめは以下の通りです。

  • 2024年10月20日、NBAのメンフィス・グリズリーズが河村勇輝選手とツーウェイ契約を結んだことを発表
  • 中学時代:柳井中学校のキャプテンとしてチームを牽引し「全国大会ベスト16」を果たす
  • 高校時代:福岡第一高校で4度の全国制覇とウィンターカップ2連覇を成し遂げた
  • 大学時代:東海大学1年時にインカレ優勝 /大学2年時に関東大学リーグで優秀選手賞とアシスト王を受賞・インカレ準優勝、アシスト王を受賞
  • プロデビュー:2020年1月、三遠ネオフェニックスの特別指定選手としてBリーグデビュー。B1リーグ最年少出場記録と最年少得点記録(18歳8ヶ月23日)を更新
  • 横浜ビー・コルセアーズ:2020年12月19日、東海大学1年生の時に特別指定選手として入団 / 2022年、大学中退後にプロ契約を締結
  • 日本代表歴:ユース時代から、年代別の日本代表に選出 / 2022年2月、日本代表(A代表)に初招集。同年7月のワールドカップアジア予選でA代表デビュー
  • Bリーグ受賞歴:プロ転向後の2022-2023年シーズンにはBリーグ史上初となる新人王とMVPの同時受賞を含む個人6冠を達成 / 2023-2024年シーズンは2年連続となるアシスト王、ベストファイブに選出。
  • グリズリーズと契約:2024年、NBAメンフィス・グリズリーズとの“エグジビット10”契約に合意し、トレーニングキャンプに参加。プレシーズンゲームでのプレーが高く評価されツーウェイ契約に昇格

幼少期から身長が低く、バスケットボールの道を諦めかけていた河村勇輝選手は、Bリーグデビューからわずか5年でNBAチームとの契約に辿り着きました。

憧れ続けたNBAの舞台でどんなプレーを見せてくれるのか。河村勇輝選手の活躍から目が離せそうにありません。