ブンデスリーガ・フライブルク所属の堂安律選手は、鋭いカットインから放たれる強烈なシュートと、屈強な外国人にも当たり負けしない強靭なフィジカルを武器に、日本代表の10番を背負うまでに成長したアタッカーです。
ピッチ上でのパフォーマンスもさることながら、大舞台で必ずといっていいほど結果を出す、メンタルの強さも魅力の一つですよね。
そんな堂安律選手には、2人の兄がいることは、ご存知でしょうか。
サッカー経験者の2人は、堂安律選手がサッカーを始めたきっかけとなった存在とも言われています。
そこで、今回の記事では、堂安律選手の兄弟について深掘りしていきます。さらに、両親についてや、家族構成も紹介していくので、ぜひ最後まで読んでみてください。
きっと、堂安一家の強い絆が見えてくるはずです。
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堂安律の家族構成
画像引用元:Instagram
堂安律選手の家族構成は、父親、母親、長男、次男、そして三男である律さんの5人家族です。
会社経営者として家族を守る父親と、仕事に子育てに奮闘した母親。サッカーを始めるきっかけとなった2人の兄。日本代表の10番を背負うまでに成長した、堂安律選手の活躍を支えてきたのは、家族との強い絆でした。
2022年W杯カタール大会直前、家族のグループLINEにこれまでの感謝の気持ちを綴っています。
「ここまで来れたのは母さんと父さんがおってくれたおかげだから、ホンマに連れて来てくれてありがとう。(兄2人に対して)ここまでサッカー上手くなったのは2人のおかげやから、ホンマにありがとう。正直結果はどうなるかわからん。やっぱドイツやからボコられるかもしらんし、歴史に名を残せるかもしらん。絶対後悔せんように、自分の目いっぱいの力を本気で出してきます」
引用:文春オンライン
家族への感謝の気持ちを胸に、強豪ドイツとの大一番に挑んだ堂安律選手の姿を思い返すと、胸が熱くなりますね。
堂安律の兄(長男)は堂安麿さん
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堂安律選手の兄(長男)は、8歳年上の堂安麿(ドウアン マロ)さんです。
幼少期、浦風FCでサッカーをしていた麿さんは、弟の憂さんと、律さんを連れて、毎日のように近所の公園で練習をしていました。
ボールのスピンのかけ方や、カーブのかけ方など、サッカーの基本技術を理論的に伝えていた麿さんの存在は、堂安律選手のサッカー技術向上に大きな影響を与えたことは間違いありません。
堂安律選手は、「3、4歳のころ、兄貴2人がサッカーをやっていた影響で、物心ついたころからボールを蹴っていた。」と話しています。
その後は、大学までサッカーを続けていた麿さんですが、プロの道には進まず、一般企業に就職したようです。
堂安律の兄(次男)は元プロサッカー選手の堂安憂
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堂安律選手の兄(次男)は、元プロサッカー選手の堂安憂(ドウアン ユウ)さんです。
1995年12月14日生まれの憂さんは、堂安律選手より3つ年上の28歳です。
長男の麿さんと同じ浦風FCでサッカーを始め、その後、セレッソ大阪アカデミー、創造学園高校、びわこ成蹊スポーツ大学を経て、2018年に、J3の「ACパルセイロ」に加入しました。
中学2年の終わりに大きな怪我をして、一度はサッカーをやめていた憂さんですが、中学の恩師からの紹介で、創造学園高校へスポーツ推薦入学しています。
創造学園時代はキャプテンとして活躍し、全国高校総体や全国高校サッカー選手権大会にも出場しました。
そして、「(プロを)目指してみーや!」という、 弟律さんからの背中を押す一言がきっかけとなり、プロ入りを決断するのです。
プロサッカー選手時代
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2018年に加入したACパルセイロでは、ミッドフィルダーとして活躍し、2018-2019年シーズンのチーム最優秀選手に選ばれました。
しかし、2019年10月に、左足内側靭帯損傷という全治8週間の大怪我に見舞われ、同年12月に、ACパルセイロとの契約期間満了をむかえてしまいます。
その後、2020年に「おこしやす京都FC」に加入するも、思うようなパフォーマンスが発揮できなかった憂選手は、所属からわずか1年で現役引退を発表しました。
現役時代に残した成績は、ACパルセイロで「37試合出場6得点」。おこしやす京都FCで「4試合出場」となっています。
サッカースクール開講
画像引用元:NEXT10 FOOTBALL LAB
大学時代に教員免許を取得していた憂さんは、プロサッカー選手を引退した後、サッカースクール「NEXT10 FOOTBALL LAB」を開校しました。
「故郷、兵庫県尼崎市への恩返しをしたい」という思いを、互いにもっていた、弟律さんとの共同経営です。
サッカースクールのコンセプトは、「次世代の10番を育成する」こと。
現役日本代表選手と、元Jリーガーの経験をもとにした、オリジナルの指導メニューで、世界へ羽ばたく選手を育成しています。
いつの日か、NEXT10 FOOTBALL LABから、日本代表の10番が誕生するかもしれませんね。
堂安律の父・哲也さんは社長
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堂安律選手の父親は、会社経営者の堂安哲也(ドウアン テツヤ)さんです。
哲也さんは、3つの会社の経営にたずさわっています。
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堂安工業は、管工事や内装仕上げ工事、機械器具設置工事を行っている会社で、哲也さん自身が代表取締役を務めています。
また、母方の祖父である「浦崎一さん」が設立した浦和機工では、取締役として、経営に加わっているようです。
さらに、堂安律選手と、次男憂さんが共同経営するサッカースクール「NEXT10 FOOTBALL LAB」の運営会社として、2018年に「株式会社 律心(リッシン)」を設立しています。
経営者としての手腕もさることながら、家族の強い絆が伝わってくる事業展開ですね。
父・哲也さんとのエピソード
経営者としての手腕を発揮している哲也さんですが、普段の性格は、おとなしく、温厚との情報があります。
「お父さんは家族の中ではおとなしいほうで、温厚な方です。子供たちには自由にさせてあげるタイプ。サッカーをやっていたわけではないんですが、けっこう詳しいんです。テレビで試合を見ているといろいろ解説してくれます(笑) 。」
引用:女性自身
また、海外から堂安律選手が帰省したときには、一緒に食事やカラオケに出かけるそうです。
ちなみに、哲也さんは長渕剛の大ファンで、その影響を受けた堂安律選手も長渕剛が好きになったと、自身のYouTubeチャンネルで話しています。
父と息子、お互いへのリスペクトを感じる、素敵な関係性ですね。
堂安律の母・美幸さんは介護施設を運営していた
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堂安律選手の母親は、堂安美幸(ドウアン ミユキ)さんです。
美幸さんは、2019年頃まで、「合同会社 愛幸」という介護施設を運営していました。
さらに、介護の仕事をしながら、父が経営する会社を手伝っていたようです。
その、仕事に対するまっすぐな姿勢に、息子律さんは尊敬の気持ちを抱いていました。
「(堂安律選手の)お母さんは地元で介護施設を運営していたんです。律はそんなお母さんが大好きで、とても尊敬しています。お母さんの話を始めたら止まらないくらいで、マザコンかなって思うほど(笑)」(堂安律選手の友人)
引用:女性自身
母・美幸さんとのエピソード
息子律さんが小学生の頃は、当時通っていた西宮のサッカークラブまで、車を1時間走らせて送迎していました。
さらに、多忙な仕事のかたわら、小学校低学年までは、息子律さんのサッカーの相手もしていたようです。
3人の息子たちの成長こそが、仕事にも子育てにも全力で取り組む、美幸さんの原動力になっていたのではないでしょうか。
堂安律選手は海外移籍をしたときに、母への感謝の気持ちをこめたプレゼントを贈っています。
「律ちゃんは、海外に移籍して初めての給料で、お母さんにプレゼントをしています。腕時計とリュックです。時計はかなりの高級品ですよ(笑)。普段はオシャレしないのに『これ、律に買うてもろたんや』ってうれしそうに使ってました」(祖母の友人)
引用:女性自身
きっと美幸さんは、息子律さんが元気にサッカーをしているだけでも幸せなはず。そんな息子律さんからの、感謝の気持ちがこめられたプレゼントは、本当に嬉しかったことでしょう。
まとめ
今回は、日本代表の10番、堂安律選手の兄弟と両親について紹介してきました。
この記事のまとめは、以下の通りです。
- 家族構成:父、母、長男、次男、三男律さんの5人家族
- 長男 麿さん:堂安律選手がサッカーを始めるきっかけとなった存在
- 次男 憂さん:元プロサッカー選手/サッカースクール「NEXT10 FOOTBALL LAB」を運営
- 父親 哲也さん:(有)堂安工業および(株)律心の代表/(株)浦和機工の取締役
- 母親 美幸さん:介護施設事業を展開する「合同会社 愛幸」を運営(2019年頃まで)
ピッチ上の力強いプレーだけでなく、インタビューでの強気な発言もたびたび注目を集める堂安律選手。その、熱く真っ直ぐなプレースタイルの根底には、「家族との絆」があるのかもしれませんね。
堂安律選手は、「チャンピオンズリーグは自分の夢、ワールドカップは家族の夢」と、言い切ります。
自分の夢、そして家族の夢に向かって突き進む、堂安律選手の今後の活躍に注目していきましょう。