高井幸大選手は、高校2年生のときに川崎フロンターレとプロ契約を結び、急成長を遂げたセンターバックです。
19歳でパリオリンピックに出場した高井幸大選手は、チーム最年少ながらも安定感抜群のディフェンスを披露。192cmの長身を生かしたスケールの大きいプレーで、無失点でのグループステージ突破に貢献しました。
パリオリンピックで印象に残った選手として、多くの人が高井幸大選手の名前を挙げています。
そこで今回は、高井幸大選手の出身高校や学歴、プロでの経歴を詳しく紹介していきます。
サッカーを始めたきっかけや、センターバックで起用されるようになった時期についても触れていくので、ぜひ最後まで読んでみてください。
この記事を読めば、高井幸大選手がパリオリンピックで活躍するまでのプロセスを知ることができます。
Contents
高井幸大のプロフィール
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まずは、高井幸大選手のプロフィールを見ていきましょう。
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神奈川県横浜市で生まれた高井幸大選手は、小学5年生のときに川崎フロンターレの下部組織U-12に入団しました。
その後、川崎フロンターレU-18在籍中に、2種登録選手としてトップチームに登録。2022年には、高校2年生ながら“飛び級”でトップチームとプロ契約を結んだ、川崎一筋のセンターバックです。
高井幸大がサッカーを始めたきっかけは?
画像引用元:ゲキサカ
高井幸大選手がサッカーを始めたのは「友達に誘われたこと」がきっかけだったようです。
幼稚園の頃、母親同士の仲がよかったことから、友達が加入していた「リバーFC」でサッカーを始めました。
幼稚園の年中さんから小学6年生までが通うリバーFCは、神奈川県川崎市にあるサッカークラブです。
神奈川県横浜市で生まれた高井幸大選手ですが、サッカーの原点は「川崎」にありました。
リバーFCのインスタグラムでは、2種登録選手として川崎フロンターレのトップチームに登録された高井幸大選手のことが紹介されています。
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リバーFC・U-10監督の山田昌弘さんは、高井幸大選手の“負けず嫌い”な性格が、彼の成長を後押ししていたと言います。
「マイペースな一方で負けず嫌い。試合に負けるとよく泣いていた。悔しさをばねにサッカーに打ち込んで強くなったと思う」
引用:タウンニュース
幼稚園の頃、友達に誘われたことがきっかけでサッカーを始めた少年は、今や、日本を代表するセンターバックといわれるまでの成長を遂げています。
高井幸大の学歴とサッカー経歴
画像引用元:高校サッカードットコム
ここでは、高井幸大選手の学歴とサッカー経歴を、詳しく紹介していきます。
- ・横浜市立矢向小学校
- ・横浜市立矢向中学校
- ・菅高校
- ・第一学院高等学校
学生時代でのエピソードとともに、高井幸大選手の成長プロセスを見ていきましょう。
小学校:横浜市立矢向小学校
画像引用元:川崎フロンターレ公式サイト
高井幸大選手が通った小学校は、横浜市立矢向小学校です。
学校のある横浜市鶴見区は、横浜市と川崎市の境目にあることから、「川崎フロンターレ」と「横浜F・マリノス」、2つのクラブが地元にあった感覚だったのかもしれません。
実際に、小学2年生で横浜F・マリノスのスペシャルクラスのセレクションに合格しており、川崎フロンターレのアカデミーに入ったのは、小学5年生の時になります。
アカデミーに入るまでは、川崎フロンターレの鄭大世選手とジュニーニョ選手に憧れ、フォワードとして活躍した高井幸大選手。
川崎フロンターレのセレクションにもフォワードとして合格していますが、アカデミー加入後まもなくセンターバックにコンバートされました。
当時、U-11を率いた玉置晴一監督は、高井幸大選手をディフェンダーへコンバートした理由の一つに、日本代表DF板倉滉選手の存在を挙げました。
「彼(板倉滉)も小学4年でセレクションでは一番点を取ってフォワードとして入ってきたのですが、その後は、ボランチやディフェンダーとして成長していきました。高井のことは、板倉をモデルケースにして、早めに後ろでの経験値を積ませていくことが大事なんじゃないかと思いました」
結果的に、小学校時代のセンターバックへのコンバートが、現在の高井幸大選手に繋がることとなります。
中学校:横浜市立矢向中学校
画像引用元:川崎フロンターレ公式サイト
高井幸大選手が中学時代を過ごしたのは、横浜市立矢向中学校です。
矢向中学校がある横浜市鶴見区から、川崎フロンターレアカデミーがある等々力までが近かったこともあり、自転車で3、40分かけてアカデミーの練習に行っていたようです。
中学に進学した高井幸大選手は、矢向中学校のサッカー部には所属せず、川崎フロンターレのU-13、U-15へとステップアップしていきます。
U-15で高井幸大選手を指導した長橋康弘監督は、当時からそのポテンシャルの高さを感じていたようです。
「小学生の時から、この子は確実に大きくなるなと感じていましたし、中学生の時も身長はさらに伸びるだろうと思いました。大きい子はポゼッションの練習が苦手なところもありますけど、彼はそうは見えませんでした。将来的な可能性はすごく感じていましたし、だからこそ、この子はトップに上げなければと私自身思っていました」
また、川崎フロンターレU-15時代には、初めて年代別の日本代表にも選出されています。
U-15日本代表として臨んだ初の国際大会、「第16回デッレナツィオーニトーナメント(イタリア遠征)」では、決勝戦でメキシコに1-2と惜敗し、準優勝で大会を終えています。
U-15日本代表がイタリア遠征を開始 ~第16回デッレナツィオーニトーナメント~ #jfa #daihyo https://t.co/csd9dqX0E4 pic.twitter.com/6v2gX7DFsb
— Jスタ (@jsta_jp) April 26, 2019
川崎フロンターレアカデミー、さらには、U-15日本代表で経験を積んだ高井幸大選手は、センターバックとしての確かな手応えを感じながら高校へと進学していきます。
高校:菅高校⇒第一学院高等学校
画像引用元:川崎フロンターレ公式サイト
高井幸大選手が中学卒業後に進学したのは、川崎市多摩区にある神奈川県立菅高校です。
高校生になった高井幸大選手は、川崎フロンターレU-18へステップアップ。この時の身長は、190cnを超えていました。
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U-18ではキャプテンとしてチームを牽引。2021年には2種登録選手(18歳以下で構成されるチームに所属しながらJリーグの試合に出場可能)として、トップチームに登録されます。
このときアカデミー育成部長の山岸繁氏が、「高井幸大選手をトップで練習させてほしい」と、トップチームを率いる鬼木監督へ直談判。
ここから急ピッチで話が進展し、高校2年からトップチームでの練習に参加することとなります。
高井幸大選手が、通信制高校の第一学院高等学校に編入を決断したのは、このタイミングでした。
山岸育成強化部長は、当時のことを次のように振り返ります。
「強化部との話もその方向で整い、本人の気持ちも確認しましたが、『やりたい』ということだったので、後日、親御さんも交えて話をしました。高校の方も単位のことなど考慮して、本人の意志も確認して通信制高校に編入する形を取りました」
通信制高校は、午前・午後の練習が終わったあとに勉強するなど、自分のペースで学習できることがメリットの一つです。
そのため、多くのアスリートが通信制高校を選んでいます。
ちなみに、高井幸大選手が通った第一学院高等学校の卒業生には、3人の元日本代表選手がいます。
- 香川真司(セレッソ大阪)
- 原口元気(VfBシュツットガルト※)
- 橋本拳人(SDウエスカ※)
※退団決定、現在去就不明
そして2022年、高井幸大選手は高校2年生のときに“飛び級”でトップチームとプロ契約を結びます。高校生でのプロ契約は、クラブ史上2人目となる快挙です。
プロデビューとなったのは、2022年アジアチャンピオンズリーグの広州足州倶楽部戦。
学業とプロキャリアを両立させた高井幸大選手は、途中出場でプロのピッチを踏みしめました。
高井幸大のプロでの経歴
画像引用元:ゲキサカ
プロ入り後の高井幸大選手は、どのような経歴をもつのでしょうか。
川崎フロンターレと日本代表でのキャリアを、高井幸大選手の活躍を交えながら紹介していきます。
プロ入り後、急成長を遂げていく姿に注目です。
川崎フロンターレ
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川崎フロンターレのアカデミーで育った高井幸大選手は、2022年、高校2年生のときに“飛び級”でトップチームとプロ契約を結びました。
川崎フロンターレでの成績は以下の通りです。
シーズン | 公式戦 | 得点 | アシスト |
2023年 | 17試合 | 0得点 | 0アシスト |
2024年 | 15試合 | 1得点 | 1アシスト |
参照:Jリーグ公式サイト
高井幸大選手は、192cmの長身を生かしたディフェンスと、攻撃のスイッチを入れる後方からのビルドアップが持ち味のセンターバックです。
19歳ながら、落ち着きのあるプレースタイルにも高い評価が集まり、“Next冨安”といった、A代表入りを期待する声が高まっています。
それでは、川崎フロンターレでのプレー集で、彼の持ち味を確認していきましょう。
また、高井幸大選手を若手の注目株として紹介しているのは、日本サッカー協会の宮本恒晴会長(元日本代表DF・キャプテン)です。
プロ入り後わずか2年で急成長を遂げた高井幸大選手を、次のように評価しました。
「高井幸大というセンターバックの選手ですけど、まだ十九歳かな。プロに入って二年経ったくらいですね。二年前にU-19代表でプロに混じって高校生で試合に出てたんですよ。その頃に比べてすごく成長してます」
引用:Number Web
2024年シーズン、川崎フロンターレではレギュラー定着には至っていませんが、誰もが認めるポテンシャルの高さに、日本代表での国際経験が加わわれば、クラブで定位置をつかむのも時間の問題でしょう。
もちろん、今回のパリオリンピックでの活躍により、海外クラブ移籍の可能性が高まったことは言うまでもありません。
日本代表
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高井幸大選手の日本代表での経歴をまとめてみました。
シーズン | 代表カテゴリー | 大会等 |
2019年 | U-15日本代表 | ・イタリア遠征 |
2021年 | U17日本代表候補 | - |
2022年 | U-18日本代表 | ・SBS杯 ・IBARAKI Next Generation Cup |
2022年 | U-10日本代表 | ・モーリスレベロトーナメント ・U20アジアカップ予選 |
2023年 | U-20日本代表 | ・U20アジアカップ ・U-20ワールドカップ |
2023年 | U-22日本代表 | ・AFC U23アジアカップ予選 |
2024年 | U-23日本代表 | ・AFC U23アジアカップ ・パリオリンピック |
高井幸大選手が初めて日の丸を背負ったのは、川崎フロンターレU-15在籍中に選出されたU-15日本代表です。
その後は、U-17、U-18、U-19と、各世代の日本代表メンバーに選出され続けました。
初の世界大会となったのは、2023年に開催されたU-20W杯アルゼンチン大会でした。
この大会、高井幸大選手は本職のCBではなく、SBとして全3試合にフル出場しています。
しかし、大会を通じて低調なパフォーマンスが続き、チームもグループステージ敗退。悔しさと課題が残る大会となりました。
画像引用元:日本サッカー協会Instagram
2024年に開催されたAFC U23アジアカップではCBとして5試合に出場。
空中戦勝利数28回、デュエル勝率66.7%という安定感抜群のディフェンスと、パス成功率88.3%という質の高いビルドアップで、攻守に存在感を見せつけました。
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そして迎えたパリオリンピックには、チーム最年少となる19歳でメンバー入りを果たします。
大会初戦から先発出場した高井幸大選手は、落ち着いた守備と、後方からのビルドアップで、日本の無敗・無失点での決勝トーナメント進出に大きく貢献。
準々決勝のスペイン戦では、元日本代表の本田圭佑選手が、“背番号15番”高井幸大選手のプレーを絶賛しています。
15番何て選手?今のヤバない?うますぎ。
— Keisuke Honda (@kskgroup2017) August 2, 2024
準々決勝敗退と、悔しい結果に終わったパリオリンピックですが、高井幸大選手の攻守にわたる活躍は、国際的な評価を上げたことに間違いありません。
まとめ
今回は、高井幸大選手の出身高校や学歴、プロでの経歴を詳しく紹介してきました。
この記事でのまとめは、以下の通りです。
- サッカーを始めたきっかけ:幼稚園の頃、友達に誘われたことがきっかけ
- 横浜市立矢向小学校:川崎フロンターレU-12に所属 / FWからCBへコンバートされる
- 横浜市立矢向中学校:川崎フロンターレU-13、U-15へステップアップ / U-15日本代表に選出される
- 第一学院高等学校:川崎フロンターレU-18ではキャプテンとして活躍 / サッカー中心の生活環境を整えるため菅高校から第一学院高等学校へ編入する
- 川崎フロンターレ:高校2年生のときに“飛び級”でプロ契約を結ぶ / 身長192cmの大型CBとして急成長を遂げている
- 日本代表:初めて日の丸を背負ったのはU-15日本代表 / パリオリンピックで国際的な評価を高めた
高井幸大選手は、高校入学後に急成長を遂げた、次世代を担うセンターバックです。
パリオリンピックの活躍によってA代表入りも期待される高井幸大選手のプレーは、今後も注目を集めていくでしょう。