小川航基は桐光学園出身で超高校級ストライカーで注目を集める!学歴や経歴を紹介!

小川航基 桐光学園

オランダ1部リーグ・NECナイメヘン所属の小川航基選手は、桐光学園高校時代から“超高校級のストライカー”として注目を浴びた、日本を代表するフォワードです。

桐光学園3年次にはキャプテンとしてチームを牽引し、全国高校サッカー選手権でのプレーが脚光を浴びた小川航基選手。しかし、そのサッカーキャリアは決して平坦なものではありませんでした。

小川航基選手はプロ入り後、ジュビロ磐田や水戸ホーリーホック、横浜FCといったクラブを渡り歩く中で、怪我や挫折を経験しながら何度も再起し、2022年の横浜FCではJ2得点王を獲得します。この活躍が彼の海外挑戦の扉を開くきっかけとなりました。

今回は、小川航基選手の学歴やこれまでの経歴を中心に、そのサッカー人生を深掘りしていきます

これまでどのような試練を乗り越え、どんなエピソードを持っているのか、小川航基選手の魅力を余すことなく紹介しますので、ぜひ最後までご覧ください。

小川航基選手が“エリート街道”を歩んできたと思っていたサッカーファンは、彼に対する印象が変わるかもしれません。

小川航基のプロフィール

 

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まずは、小川航基選手のプロフィールを見ていきましょう。

  • 名前:小川航基(おがわ こうき)
  • 生年月日:1997年8月8日
  • 年齢:27歳(2024年11月時点)
  • 身長:186cm
  • 体重:78kg
  • 血液型:O型
  • 利き足:右足
  • ポジション:FW(フォワード)
  • 所属チーム:NECナイメヘン(オランダ1部リーグ)
  • 出身地:神奈川県横浜市
  • 所属チーム歴:横浜港北サッカークラブ→大豆戸FCジュニアユース→桐光学園高等学校→ジュビロ磐田→水戸ホーリーホック→ジュビロ磐田→横浜FC→NECナイメヘン(オランダ)
  • 日本代表歴:U-18日本代表 / U-19日本代表 / U-20日本代表 / U-21日本代表 / U-22日本代表 / U-23日本代表 / 日本代表(A代表)

1997年8月8日、神奈川県横浜市生まれ。兄の影響を受け、7歳から本格的にサッカーを始める。

高校は神奈川県の強豪校・桐光学園に進学し、1年生の時から全国大会に出場している。

3年生ではキャプテンとして第94回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。2回戦と3回戦で2得点ずつ挙げ、チームのベスト16進出に貢献した。

高校卒業後、2016年にジュビロ磐田でプロキャリアをスタートさせた後、水戸ホーリーホックを経て、2022年に横浜FCに加入。同年のJ2リーグで26得点を記録し得点王となる。

2023年7月、オランダの名門NECナイメヘンへ期限付き移籍すると、移籍1年目からリーグ戦32試合に出場し、11ゴールを記録。その活躍が認められ、2024年3月21日にNECナイメヘンへの完全移籍が発表された。

小川航基の学歴

 

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ここでは、小川航基選手の学歴を紹介していきます。

小川航基選手が通った学校は以下の通りです。

  • 南山田小学校
  • 中川中学校
  • 桐光学園高等学校

“サッカーエリート”のイメージが強い小川航基選手が、学生時代に経験した挫折と成長に注目してご覧ください。

「小学生時代も中学生時代も、自分は無名だったし、高校時代だって結局、勝てなかった。失敗ばかりしているというイメージがあります。決して順調に来てないし、常に危機感と戦いながらやってきた」

引用:Sportiva

南山田小学校時代

神奈川県横浜市で生まれた小川航基選手は、横浜市立南山田小学校に通っていました。

南山田小学校画像引用元:南山田小学校

兄の影響で4歳の時からボールを蹴り始めた小川航基選手が、本格的にサッカーを始めたのは小学校4年生の頃。横浜FCのスクールに通い、サッカーの技術を磨いていきます。

しかし、小川航基選手の小学生時代は必ずしも順風満帆ではありませんでした。

小学6年生の時、横浜FCジュニアユースのセレクションに落選してしまったのです。

 「6年生の時に、神奈川県で強豪と言われているクラブチームのセレクションを受けたんです。同じチームからも8人くらい受けて。(中略)結局、1次試験で落ちたのは僕だけでした。チームでは、僕が中心選手で、一番上手いという自負があったので、自分だけが落ちたことは、相当ショックでしたね」

引用:サカママ

この経験は、プロになるのが夢だった小川航基選手にとって、“自らの実力がそこまでのレベルにない”ことを自覚させる出来事になりました。

この挫折体験をバネにした小川航基選手は、小学校卒業後、神奈川県で1、2を争う強豪クラブの大豆戸FCのセレクションを受け合格。ここで身につけた技術と自信により、彼は神奈川県で名の知れる選手へと成長していくこととなります。

中川中学校時代

小川航基選手は横浜市立中川中学校に通っていましたが、学校の部活には入らず、中学入学前に入団していた大豆戸FCに所属していました。

大豆戸FC画像引用元:大豆戸FC

ただ、当時メンタルが弱かった小川航基選手は、中学に上がってからもクラブでサッカーを続けるか迷っていたといいます。

その理由は、部活動でサッカーを続ければ、気楽な気持ちで楽しくサッカーができるという思いがあったからです。

「ある時、父に部屋に呼ばれて、『楽しくサッカーを続けたいのか、真剣にやりたいのか、お前はどっちなんだ』と、選択を迫られたことがありました。部活で続ければ楽しいけれど、楽な道に逃げることにもなる。それに、試合で活躍する姿を楽しみにしている母が残念に思ってしまうのではないだろうか……。葛藤しながらも、泣きながら『クラブチームで真剣にやります』と言ったのを今でも覚えています」

引用:サカママ

現在はストライカーとして活躍する小川航基選手ですが、中学時代は主にトップ下としてプレーしており、ゲームメイカーの役割を担っていました。しかし、この時期は特に目立つ存在ではなく、横浜F・マリノスや川崎フロンターレの下部組織からの選抜には至らず、県の中体連選抜止まりでした。

そんな小川航基選手が、高校進学を考え始めた中学3年生の時、神奈川県のサッカー強豪校・桐光学園からオファーが届いたのです。

「高校サッカーに憧れて、最初から桐光に行くつもりだった。受験する予定でしたが、誘ってもらえたので迷わず決めました」

引用:Number Web

そして、この桐光学園での経験が小川航基選手の成長曲線を急激に上昇させていくこととなるのです。

桐光学園時代

小川航基選手が進学した桐光学園高等学校は、元日本代表の中村俊輔選手など、多くのプロサッカー選手を輩出している高校サッカーの名門校です。

小川航基選手は高校1年生からレギュラーとして試合に出場。2年次は、たび重なる怪我に悩まされますが、世代別での代表にも選ばれたことで「小川航基」の名は全国区になっていきます。

桐光学園では特にストライカーとしての素質を見出され、鈴木勝大監督から「お前はストライカーとしての素質がある」と言われたことが、彼の意識を大きく変えるきっかけとなりました

小川航基画像引用元:SOCCER KING

一方で、小川航基選手は高校時代に感情的な瞬間も経験しました。

3年生で迎えた兵庫インターハイ。初戦敗退した後のロッカールームに「俺は勝ちたかったんですよ!」という、小川航基選手の怒号が響き渡ります。

そして、恩師である鈴木勝大監督と激しい口論が勃発したのです。

その後、小川航基選手は監督に謝罪し、この経験が自身の成長につながったと振り返りました。

「あの時は、心の底から勝ちたくて、インターハイに懸けていました。ここで結果を出して名前が売れなきゃプロになれない、呼ばれない。本気で優勝と得点王を目指して、信じて挑んだので、追いつかれての初戦敗退という結果はどうしても受け入れられませんでした。監督は叱咤激励をしてくれたのだと思うのですが、どうしても感情を抑えきれなくて……。でも、感情的になってしまったのは反省しています」

引用:Number Web

そして、高校3年生になった小川航基選手はキャプテンとしてチームを引っ張り、全国高校サッカー選手権大会での優勝を目指します。

本来は、いわゆる“キャプテンタイプ”ではなく、背中でチームを引っ張っていくタイプの小川航基選手。そんな彼を支えてくれたのは、横浜FCで再びチームメイトとなる副キャプテンのイサカ ゼイン選手でした。

「彼は芯がしっかりしていて真面目で、僕以上にキャプテンらしかった。人間性も素晴らしいので、ピッチ外のことは彼に任せていましたね」

引用:横浜FCオフィシャルサイト

小川航基画像引用元:横浜FCオフィシャルサイト(左:イサカ ゼイン/ 右:小川航基)

こうして臨んだ桐光学園最後の全校高校サッカー選手権大会。

順調に神奈川県予選を突破し、本大会では“超高校級ストライカー”“大会ナンバーワンストライカー”と称され、注目を集めます。

そして、桐光学園のベスト8進出をかけて臨んだ青森山田高校との3回戦。

2試合連続の2ゴールを決め、“小川劇場”と化した三ツ沢球技場でしたが、試合中盤に小川航基選手がハットトリックをかけたPKを失敗すると、試合の流れは一変します。

その後、青森山田高校に同点にされると、試合はそのままPK戦に突入。

最後は、5人目のキッカーを務めた小川航基選手がPKを外してしまい、桐光学園はベスト16で姿を消してしまうこととなりました。

高校卒業後の小川航基選手は、全国高校サッカー選手権大会前に内定をもらっていたジュビロ磐田へ入団し、活躍の場をプロの世界へと移していきます。

小川航基の経歴

 

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ここでは、小川航基選手の経歴を紹介していきます。

これまで小川航基選手が所属したクラブは以下の通りです。

  • ジュビロ磐田
  • 水戸ホーリーホック
  • 横浜FC
  • NECナイメヘン

それぞれのクラブで小川航基選手が経験してきた、活躍と挫折の数々を見ていきましょう。

ジュビロ磐田時代(第一期)

クラブの期待とは裏腹に、結果の出ないシーズンを重ねた第一期ジュビロ磐田時代。

プロデビューから3シーズンで残した成績は以下の通りです。

シーズン 公式戦 得点 アシスト
2016年 2試合 0得点 0アシスト
2017年 10試合 5得点 0アシスト
2018年 17試合 1得点 0アシスト

桐光学園時代からエースストライカーとして注目を集めた小川航基選手は、2016年にジュビロ磐田に入団。磐田のエースだった前田遼一選手が付けていた背番号「18」を受け継ぎ、クラブの期待を背負います。

しかし、プロ1年目となった2016年シーズンは、カップ戦でプロデビューを果たしたものの、リーグ戦出場は0

2年目となった2017年は、ルヴァンカップでハットトリックを決めるなどの活躍を見せ、カップ戦通算5得点を記録。しかし、波に乗るかと思われた矢先、小川航基選手を悲劇が襲います。

この年の5月に行われたU-20日本代表の試合で左膝前十字じん帯断裂および、半月板損傷の大怪我を負うこととなるのです。

この怪我の影響により、この年もリーグ戦での得点は0のままシーズンを終えてしまいます。

 

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怪我から復帰後の2018年シーズンは、Jリーグ第31節・サンフレッチェ広島戦でJリーグ初ゴールを記録。さらに、磐田のJ1参入プレーオフでは、自身が獲得したPKを決め、チームのJ1残留に貢献しました。

しかし、3年目となった2018年シーズンもリーグ戦での得点は1得点のみ。なかなか結果が出ない日々に焦りを募らせた小川航基選手は、2019年7月にJ2水戸ホーリーホックに移籍を決断します。

水戸ホーリーホック時代

出場機会を求めて移籍した水戸ホーリーホックでの成績は以下の通りです。

シーズン 公式戦 得点 アシスト
2019年 17試合 7得点 0アシスト

2019年7月14日、水戸ホーリーホックへ育成型期限付き移籍で加入

この年はシーズン途中からの加入だったものの、J2リーグ17試合に出場し、キャリアハイとなる7得点を記録します。

チームは惜しくもJ1昇格を逃すも、小川航基選手は復調の兆しをつかみ、同年12月には国内組中心で構成されたEAFF E-1選手権で日本代表に初選出されました。

小川航基選手は、水戸ホーリーホックでプレーした半年が、自身のサッカーキャリアにおいて大きな経験になったと振り返ります。

「あの半年間は自分にとってすごくプラスになったと思います」

引用:横浜FCオフィシャルサイト

そして、期限付き移籍の契約が満了した2019年シーズン終了後に、ジュビロ磐田へ復帰することとなりました。

 

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ジュビロ磐田時代(第二期)

2020年シーズンからのJ2降格が決まったジュビロ磐田に復帰した、小川航基選手の成績は以下の通りです。

シーズン 公式戦 得点 アシスト
2020年 32試合 9得点 0アシスト
2021年 24試合 1得点 0アシスト

ジュビロ磐田に復帰した小川航基選手の背番号は「9番」。かつて、ジュビロ磐田のレジェンド中山雅史さんが付けていた番号です。

「全てを変えるじゃないですけど、『小川のシーズンだった』と言わせるぐらいの働きをしないといけないという思いでした」

引用:横浜FCオフィシャルサイト

「J2得点王」という高い目標を掲げて臨んだ2020年シーズンは、J2開幕戦のモンテディオ山形戦で2得点を挙げる活躍を見せ順調なスタートを切ります。

しかし、新型コロナウイルス陽性や、規律違反による謹慎などもあり、32試合出場9得という不本意な成績で2020年シーズンを終えてしまいました。

さらに復帰2年目となった2021年シーズンは、この年J2得点王に輝いたブラジル人ストライカーのルキアンとのポジション争いに敗れ出場機会が激減。ベンチ外になることも増え、最終的にリーグ戦わずか1得点でシーズンを終えています。

2021年シーズン、ジュビロ磐田はJ1復帰を果たしますが、小川航基選手はこの年にJ2降格が決まった横浜FCへの移籍を決断しました。

 

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横浜FC時代

小川航基選手のサッカー人生における転機となった横浜FCでの成績は以下の通りです。

シーズン 公式戦 得点 アシスト
2022年 41試合 26得点 4アシスト
2023年 15試合 6得点 0アシスト

2022年シーズンより横浜FCに完全移籍で加入した小川航基選手。

J2開幕戦の大宮アルディージャ戦では、これまで慣れ親しんだ最前線のポジションではなく、いわゆる“2列目”といわれるシャドーのポジションで出場。すると、さっそく移籍後初得点を記録し、そのままスタメンへと定着していきます。

この年の小川航基選手は41試合出場26得点と大ブレイクを果たし、チームのJ1復帰に大きく貢献。自身も、J2得点王・3度の月間MVP・J2最優秀選手賞・ベストイレブンを獲得した充実のシーズンとなりました。

 

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2023年シーズンは、昇格1年目のJ1リーグ戦で15試合6ゴールを記録

その活躍が評価され、シーズン途中にオランダ1部リーグ・NECナイメヘンから獲得オファーが届くこととなります。

NECナイメヘン時代

初の海外挑戦となったNECナイメヘンでの成績は以下の通りです。

この挑戦が、日本代表復帰への足がかりとなっていきます。

シーズン 公式戦 得点 アシスト
2023-2024年 37試合 15得点 1アシスト
2024-2025年 12試合 7得点 1アシスト

※2023-2024年シーズンはエールディヴィジ第12節終了時点

海外挑戦1年目となった2023-2024年シーズンは、エールディヴィジの開幕から2戦連続で得点を記録する好スタートを切ります。

このシーズンは、最終的に公式戦37試合15得点を記録し、ECL(ヨーロッパ・チャンピオンズリーグ)のプレーオフ進出に貢献。その活躍が評価され、NECメイナヘンへの完全移籍を掴みとりました。

2023-2024年シーズンに見せた、小川航基選手のドリブルやフィニッシュの高さ、スペースへの抜け出しは、海外でも高く評価されています。

小川航基選手は、海外移籍1年目のシーズンを次のように振り返りました。

「僕の中で本当に濃く、今までにない刺激の大きな1年だったと思います。ゴールを決めた試合もあれば、スタメンから外された試合も。その中でA代表にも呼ばれて、いろいろなことが重なった1年でした」

引用:Number Web

オランダでの2シーズン目となった今季は、エールディヴィジ第12節を終えた時点で早くも7得点を記録するなど好調をキープ。

日本代表“森保ジャパン”のエースとして活躍を期待する声も高まってきています。

小川航基の日本代表経歴

 

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最後に、小川航基選手の日本代表での経歴を見ていきましょう。

シーズン 代表カテゴリー 大会等
2015年 U-18日本代表 ・SBS杯

・AFC U-19選手権 予選

2016年 U-19日本代表 ・AFC U-19選手権 
2017年 U-20日本代表 ・U-20W杯
2018年 U-21日本代表 ・トゥーロン国際大会

・ドバイカップ

2019年 U-22日本代表 ・トゥーロン国際大会
2019年 日本代表 ・EAFF E-1 サッカー選手権
2020年 U-23日本代表 ・AFC U-23選手権
2024年 日本代表 ・FIFA W杯アジア2次予選

・FIFA W杯アジア最終予選

小川航基選手は2015年にU-18日本代表としてデビューし、その後U-19、U-20、U-21

U-22、U-23と、各年代の代表チームでプレーを重ねました。

2017年には、U-20ワールドカップに出場るも、U-20ウルグアイ代表戦で負傷交代。左ひざの前十字じん帯断裂および半月板損傷と診断され、無念の大会途中の離脱となります。

2019年12月、EAFF E-1サッカー選手権に出場する日本代表に初選出。第2戦目の香港戦で代表初出場し、史上3人目となるA代表デビュー戦でのハットトリックを達成しました。

しかし、その後は世代別代表にも選ばれない時期が続き、東京五輪の選考レースからも脱落します。

2024年3月、北中米W杯アジア2次予選で4年3か月ぶりの日本代表復帰すると、代表“6戦7得点”という驚異的な決定力を見せつけ、森保ジャパンのエース候補に名乗りをあげています。

まとめ

今回は、桐光学園時代に“超高校級ストライカー”として注目を集めた小川航基選手の学歴や経歴を詳しく紹介してきました

この記事でのまとめは以下の通りです。

  • 南山田小学校時代:小学4年生の頃から横浜FCのスクールに通い始める/ 小学6年生の時に横浜FCジュニアユースのセレクション不合格という挫折を経験する
  • 中川中学校時代:大豆戸FCで主にトップ下のポジションで活躍 / 中学3年生の時に桐光学園高校からスカウトが届く
  • 桐光学園時代:1年生からレギュラーとして試合に出場 / “超高校級ストライカー”として注目を集め、キャプテンとして臨んだ最後の全国高校サッカー選手権はベスト16で敗退
  • ジュビロ磐田時代(第一期):左膝前十字じん帯断裂、半月板損傷という大怪我の影響もあり、3シーズン合計6得点と不本意なシーズンを過ごした
  • 水戸ホーリーホック時代:約半年のシーズンで17試合7得点を記録し、復調のきっかけを掴んだ
  • ジュビロ磐田時代(第二期):復帰1年目に9得点を記録するもポジション争いに敗れ、J2横浜FCへ移籍を決断する
  • 横浜FC時代:2022年シーズン41試合出場26得点を記録しJ2得点王に輝く / 翌シーズンも15試合6得点を決めると、オランダ1部リーグ・NECナイメヘンから獲得オファーが届く
  • NECナイメヘン時代:海外挑戦1年目から公式戦37試合15得点を記録し完全移籍をつかみ取る 
  • 日本代表経歴:U-18〜U-23までの各年代での日本代表に選出され続ける / A代表デビューは2019年のEAFF E-1 サッカー選手権 / 2024年3月に4年3ヶ月ぶりの代表復帰を果たした

“エリート”という印象が強い小川航基選手のサッカーキャリアは、実は挫折と成長の繰り返しでした。

さまざまな壁を乗り越えてきた、不屈のストライカーの活躍は、今後も多くのサッカーファンに勇気と希望を与えていくでしょう。