小川航基の兄弟は兄が1人の4人家族!サッカーを始めたきっかけは?父も兄も経験者?

小川航基 兄弟

サッカー日本代表“森保ジャパン”のエース候補として、その活躍に期待が高まる小川航基選手。

W杯アジア最終予選での活躍により、彼のプレースタイルや経歴に注目が集まるなか、家族との関係にも多くの関心が寄せられています。

両親と兄との4人家族で育った小川航基選手のサッカー人生には、家族の存在が大きな影響を与えてきました。

幼い頃から兄とボールを蹴り合い、父親のアドバイスや母親の食事サポートを受けながら成長した小川航基選手。

これまで数々の挫折を経験しながらも、日本代表にまで上り詰めることが出来たのは、家族の支えがあったからだと言えるでしょう。

今回は、小川航基選手の家族構成やサッカーを始めたきっかけ、さらには家族とのエピソードを詳しくご紹介していきます。

この記事を読めば、小川家の家族の絆や、小川航基選手のサッカーキャリアの原点を知ることができるので、ぜひ最後まで読んでみてください。

小川航基の家族構成は4人家族

小川航基画像引用元:Sportiva

まずは、小川航基選手の家族構成を見ていきましょう。

  • 父親
  • 母親
  • 長男
  • 次男(小川航基選手)

小川航基選手の家族は、両親と兄1人の4人家族です。

1997年8月8日、神奈川県横浜市で生まれた小川航基選手。

幼少期の小川航基選手は、いわゆる“ガキ大将”タイプで、グループの中心的な存在でした。

そんな小川航基選手が本格的にサッカーを始めたのは小学校4年生の頃。3歳年上の兄の影響を受け、地元のサッカースクールに通い始めます。

しかし、小川航基選手の学生時代は挫折の連続でした。

小学6年生の時に受けた、横浜FCジュニアユースのセレクションに落選。さらに、その後進学した桐光学園では、最後の全国高校サッカー選手権でPKを失敗し、ベスト16で敗退しています。

またプロ入り後は、FIFA U-20ワールドカップで左膝前十字じん帯断裂および半月板損傷の大怪我を負い、復帰後も思うようなプレーができない試合が多々ありました。

 

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この苦しい時期を身近で支えてくれたのが家族の存在です。

両親の温かいサポートと、憧れの兄から受けた刺激は、くじけそうになった小川航基選手を何度も救ってくれました。

「両親はいつでも味方でした。周りからダメだと言われることがあっても、両親は絶対にそうは言わずに、見守ってくれましたね。」

引用:サカママ

2016年にジュビロ磐田でプロデビューを果たした小川航基選手は、その後、水戸ホーリーホック、横浜FCへの移籍を経て、2023年7月にオランダ1部リーグ・NECナイメヘンに移籍しました。

2024年には、北中米W杯アジア2次予選で4年3か月ぶりの日本代表復帰を果たし、その後は、代表メンバーに定着しています。

また、小川航基選手は2021年12月31日に、自身のInstagramで結婚を報告しています。

 

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小川航基選手は長女と次女、2人の子供に恵まれており、海外リーグ初挑戦となったオランダの地で、新たな家庭を築いています。

小川航基の父親はどんな人?

小川航基画像引用元:Number Web

小川航基選手の父親については、名前や職業などのプライベートな情報は公開されていませんでした。

しかし調査の結果、父親の存在は、小川航基選手のサッカーキャリアにおいて重要な役割を果たしていたことは分かっています。

小川航基選手は過去に受けたインタビューの中で「父親はサッカー経験者であり、自分がサッカーを始めるきっかけにもなった人物」であることを明かしています。

「父もサッカーを昔やっていて、兄は同じクラブでした。サッカーをはじめたのは父と兄の影響が大きかったのかもしれないですね。」

引用:みらいぶ

幼稚園年中の頃からクラブチームに加入し、サッカーを始めた小川航基選手。

彼が小学校高学年になる頃には、父親もチームの手伝いをし始め、小川航基選手の成長を陰ながら見守っていました。

「高学年になると大きな大会も多くなって、その中で勝ち負けを味わっていくと、もっと上手くなりたいと思うようになりましたね。暇さえあればボールを蹴っていたし、試合に勝つためのトレーニングもするようになったり。自宅でも、父と兄と3人で朝練をしたり、よく練習をしてました」

引用:サカママ

また、小川航基選手が「中学に上がってからもクラブチームでサッカーを続けるべきか」を迷っていた時、息子の悩みを察した父親が、サッカー人生を左右する決断を後押ししたというエピソードがあります。

「ある時、父に部屋に呼ばれて、『楽しくサッカーを続けたいのか、真剣にやりたいのか、お前はどっちなんだ』と、選択を迫られたことがありました。部活で続ければ楽しいけれど、楽な道に逃げることにもなる。それに、試合で活躍する姿を楽しみにしている母が残念に思ってしまうのではないだろうか……。葛藤しながらも、泣きながら『クラブチームで真剣にやります』と言ったのを今でも覚えています」

引用:サカママ

この父親との対話が、小川航基選手がクラブチームで真剣にサッカーを続ける決意を固めるきっかけとなりました。

その後の小川航基選手は、中学時代に所属していた「大豆戸FC」でゲームメーカーとして活躍。

そのプレーが認められ、中学3年生になった小川航基選手のもとに、神奈川県のサッカー強豪校・桐光学園からスカウトが届くこととなるのです。

小川航基選手のサッカーキャリアに真剣に向き合ってくれた父親の存在がなければ、その後の彼の成長はなかったかもしれません。

小川航基の母親はどんな人?

小川航基画像引用元:Number Web

小川航基選手の母親の名前は、小川雪子さんです。

母・雪子さんは、小川航基選手がサッカーを始めた幼少期から常に彼を見守り、その活動をサポートしてきました。

特に、小川航基選手がサッカーに夢中になる過程での食事や生活習慣の改善に力を入れてきたようです。

小川航基選手が小学3年生の頃には、徐々に増えてきた息子の体重を調整するために、揚げ物を控え、和食中心の食事に切り替えたといいます。また、「お菓子やジュースも一切買わなくなった」と、当時を振り返りました。

揚げものをやめて食べ物は和食中心。「お菓子やジュースも一切買わなくなった」と笑う。今は練習に明け暮れて10時すぎに帰ってくる息子を待ち、丼飯を3杯食べさせるなど、1日5食で体づくりをサポートしてきた。

引用:カナロコ

また、週に何度もある、小川航基選手のサッカースクールへの送迎は、母・雪子さんが行いました帰りの車中で食べられるようにと、いつもおにぎりを用意してくれていたといいます。

「おにぎりには、よく唐揚げが入っていたので、今でもその味を覚えています。朝早い試合の時も必ず作ってくれました」

引用:サカママ

幼少期の小川航基選手のプレーを間近で見ていた母・雪子さんですが、彼女は競技について具体的なアドバイスをすることはなく、常に一歩引いて見守る姿勢を貫きました。

たとえ小川航基選手が試合で調子が悪い時でも、母・雪子さんが「今日はダメだったね」と言うことはなく、いつも息子のプレーを応援していたといいます。

「母はいつも一歩引いて、見守ってくれている感じでしたね。プレーのことは絶対口にしないし、誰がみても調子が悪かった試合でも『今日はダメだったね』と言われたことはないんです。いつも試合を楽しみに、ママ友と一緒に応援してくれて。それは、今でも変わらないですね」

引用:サカママ

母・雪子さんの愛情深いサポートは、小川航基選手の成長に大きな影響を与えてきたと言えるでしょう。

小川航基の兄はどんな人?

小川航基画像引用元:横浜FCオフィシャルサイト

小川航基選手には3歳上の兄がいますが、年齢や職業など、プライベートな情報は公開されていません。

しかし、後述する通り、兄は小川航基選手がサッカーを始めたきっかけとなった人物だということは分かっています。

「サッカーを始めたのは年中の頃。3歳上の兄がサッカーをやっていたことがきっかけです。平日は学校から帰宅すると、兄や兄の友人たちと一緒に、近くの公園で暗くなるまでボールを蹴って遊んでいました。」

 引用:UDN SPORTS

幼少期からサッカーを始めた兄は、その後、公立の横浜市立東高等学校に進学。高校でもサッカー部に所属し、神奈川県大会ベスト4を経験しています。

「桐光からお話が来ると思っていなくて、最初は公立の(横浜市立)東に行くつもりでした。兄も東だったので(兄は県4強メンバー)」

引用:ゲキサカ

小川航基選手は兄との関係について「自分がサッカーを続ける中で、兄が常に良い刺激を与えてくれた」と話しています。

 

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ちなみに、小川航基選手は「釣り」が趣味の一つで、幼い頃は、親によく釣りに連れて行ってもらっていたと言います。

「(サッカー選手でなかったら就いていた職業として)強いて挙げるならば、漁師の道に進んでいたかもしれません。今でも僕の趣味の一つなんですが、子どもの頃は親によく釣りに連れていってもらっていたので、海の仕事に憧れを持っていた時期もあったんです。」

引用:UDN SPORTS

今でも釣りは、兄弟共通の趣味である可能性が高く、小川航基選手が家族と過ごす大切な時間になっていそうです。

小川航基がサッカーを始めたきっかけは兄の影響?

小川航基画像引用元:Number Web

小川航基選手は3歳年上の兄の影響で、4歳の頃からボールを蹴りはじめました

幼少期の小川航基選手は、平日は学校から帰宅すると、実家の近くにある「徳生公園(神奈川県横浜市)」で、兄や兄の友人たちと一緒に暗くなるまでボールを蹴って遊んでいたといいます。

さらに、小川航基選手が「横浜港北FC」に加入したきっかけも、横浜港北SCでプレーしていた兄の姿を見たからだと言います。

「兄が地元のクラブチームに所属していて、それを見て僕もやりたくなったんだと思います。横浜港北SCに入ったのは、年中の頃でした」

引用:サカママ

横浜港北SCでサッカーキャリアをスタートさせた小川航基選手は、小学校卒業後に神奈川県で1、2を争う強豪クラブの大豆戸FCのセレクションを受け合格します。

さらに、中学卒業後は、神奈川県の強豪校・桐光学園へと進学。“超高校級ストライカー”として、その名を全国へ知らしめていくこととなるのです。

これらのことから、小川航基選手が兄から受けた影響は、彼のサッカーキャリアのスタートや成長過程において、とても重要な役割を果たしてきたことが分かります。

小川航基のプロフィール

小川航基画像引用元:Number Web

最後に、小川航基選手のプロフィールを見ていきましょう。

  • 名前:小川航基(おがわ こうき)
  • 生年月日:1997年8月8日
  • 年齢:27歳(2024年11月時点)
  • 身長:186cm
  • 体重:78kg
  • 血液型:O型
  • 利き足:右足
  • ポジション:FW(フォワード)
  • 所属チーム:NECナイメヘン(オランダ1部リーグ)
  • 出身地:神奈川県横浜市
  • 所属チーム歴:横浜港北サッカークラブ→大豆戸FCジュニアユース→桐光学園高等学校→ジュビロ磐田→水戸ホーリーホック→ジュビロ磐田→横浜FC→NECナイメヘン(オランダ)
  • 日本代表歴:U-18日本代表 / U-19日本代表 / U-20日本代表 / U-21日本代表 / U-22日本代表 / U-23日本代表 / 日本代表(A代表)

まとめ

今回は、小川航基選手の家族構成や、彼がサッカーを始めたきっかけを詳しく紹介してきました

この記事のまとめは以下の通りです。

  • 家族構成:父親、母親、長男、次男(本人)の4人家族
  • 父親:サッカー経験者 / 小川航基選手がサッカーを始めるきっかけを作った / サッカーキャリアに迷う小川航基選手と真剣に向き合うことで息子の背中を押した
  • 母親:小川雪子さん / 食事や生活習慣の改善をおこなうことで幼少期の小川航基選手をサポートしてきた / 小川航基選手の調子が悪い時でも常に応援してくれた
  • 兄:小川航基選手の3歳年上 / 横浜港北FCでサッカーを始め、公立の横浜市立東高等学校に進学している 
  • サッカーを始めたきっかけ:小川航基選手が4歳の頃に兄の影響でボールを蹴り始めた / 年中から兄と同じ横浜港北FCに加入している

学生時代だけでなくプロ入り後も数多くの挫折を乗り越えてきた小川航基選手。

家族が与えた影響や、温かいサポートがなければ、彼のサッカーキャリアはなかったかもしれません。

家族への感謝の気持ちを胸に躍進を続ける、小川航基選手の今後の活躍にますます期待が高まります。