日本サッカー界の若手有望株として注目を集めていた佐野海舟選手。
3歳でボールを蹴り始め、高校時代には全国大会で活躍。
FC町田ゼルビアでプロデビューを果たし、鹿島アントラーズではJ1ベストイレブンに選出される快挙を成し遂げました。
日本代表としても頭角を現し、ドイツ・ブンデスリーガへの移籍も決まるなど、まさに順風満帆のキャリアを歩んでいました。
しかし、2024年7月、突如として逮捕されるという衝撃的な出来事が起こります。
プロサッカー選手としての輝かしい才能と、一瞬にして揺らいだキャリア。
本記事では、佐野海舟選手の幼少期からプロ選手としての軌跡を丁寧に追いながら、彼の才能と直面する試練について詳しく解説していきたいと思います。
Contents
佐野海舟選手の幼少時代とサッカーを始めたきっかけ
画像引用元:スポニチSponichiAnnex
佐野海舟選手のサッカー人生は、多くのプロ選手と同様に、驚くほど早い時期に始まりました。
- 3歳頃からボールを蹴り始める
- 父親の龍一さんの影響が大きく、フットサルの練習に連れて行ってもらったことがサッカーを始めたきっかけ
- 小学校入学後、父親がコーチを務めるFC ヴィパルテに入団し本格的にサッカーを開始
幼い頃の佐野海舟選手には、サッカーのプレーにおいて興味深い特徴がありました。
他の子供たちが団子状態でボールを追いかける中、佐野海舟選手は後ろで待ち構えてセカンドボールを拾うというプレースタイルだったそうです。
これは現在の彼のプレースタイルにも通じる特徴だそうです。
すでにこの頃から、ゲームを俯瞰的に見る力や、相手の動きを先読みする能力が芽生えていたのかもしれませんね。
性格面では、「内弁慶タイプ」だったそうです。
家では冗談を言うなど活発な一面を見せるものの、外では全く違う性格を見せていたようで、このような二面性が、後のプロ選手としての適応力にも繋がっているのではないでしょうか。
家族との関係も、佐野海舟選手のサッカー人生に大きな影響を与えています。
特に弟の佐野航大さんとは仲が良く、一緒にサッカーに励んでいたそうです。
兄弟でサッカーに打ち込む環境が、互いを高め合う良い刺激になったのではないかと思います。
ちなみに、「海舟」という名前は、父親が好きだという江戸時代末期から明治時代初期に活躍した勝海舟に由来しています。
歴史に名を残す偉人と同じ名を持つことで、自然と大きな志を抱くようにという父親の願いが込められたのではないかと思います。
佐野海舟選手は高校時代どんな選手だった?
画像引用元:日本海テレビ
高校時代の佐野海舟選手は、すでに注目を集める存在でした。
米子北高等学校に進学した佐野海舟選手は、次のような活躍を見せます。
- 1年生からレギュラーとして活躍
- 全国高校総体と全国高校サッカー選手権に3年連続で出場
- 高校3年時には第97回全国高等学校サッカー選手権に出場し、注目選手として報じられる
特筆すべきは、佐野海舟選手の高いスタミナとボール奪取能力です。
これらの能力は、すでに当時からJリーグのスカウトからも注目されていたそうです。
90分間走り続ける持久力と、相手からボールを奪う技術は、プロでも通用するレベルだったのでしょう。
ただし、完璧な選手ではありませんでした。
ボール奪取後のプレーの引き出しが少ないと指摘されることもあったそうです。
しかし、ボランチ(守備的中盤)としての守備力は高く評価されており、将来性を感じさせる選手だったことがわかります。
興味深いエピソードとして、チーム内では「陰キャ」としていじられることが多く、自身でもその性格をネタにしていたそうです。
このような自虐的なユーモアセンスは、チームの雰囲気を和ませる役割も果たしていたのではないでしょうか。
また、高校でプロになれなければ地元に帰ると親と約束しており、高校時代からプロ入りを強く意識していたことがわかります。
この強い意志が、後のプロ選手としての成功に繋がったのではないでしょうか!
佐野海舟選手のプロ入り後の経歴
次に、佐野海舟選手のプロ入り後の経歴と活躍についてまとめてみたいと思います。
FC町田ゼルビア時代
画像引用元:FOOTBALL ZOON
2019年、佐野海舟選手はFC町田ゼルビアでプロデビューを果たします。
J2リーグでのデビューとなりましたが、その活躍は目覚ましいものでした。
- 2019年5月5日、J2第12節の水戸ホーリーホック戦でプロデビュー
- 2020年9月6日、J2第17節のFC琉球戦でプロ初ゴールを決める
- 2022年には、90分平均のボール奪取回数でJ2リーグ1位(20回)を記録
- 4年間で116試合に出場し、8得点を記録
FCゼルビア町田に所属していた時の佐野海舟選手は、ボール奪取能力に優れた守備的中盤選手として高い評価を受けていました。
高校時代から評価されていた守備力が、プロの舞台でも十分に通用することを証明したと言えるでしょう。
チーム内では「カイシュウ」というニックネームで親しまれ、J1昇格を目標に掲げて奮闘しました。
残念ながら在籍中にJ1昇格は果たせませんでしたが、チームの中心選手として着実にキャリアを積み重ねていきました。
また、趣味はゴルフだそうで、オフの日にはゴルフを楽しむなど、プロ選手としてのオンとオフの切り替えもしっかりできていたようです。
鹿島アントラーズ時代
画像引用元:FOOTBALL ZOON
2023年、佐野海舟選手は鹿島アントラーズに完全移籍します。
J1リーグでのプレーという新たな挑戦でしたが、その実力を遺憾なく発揮しました。
- 背番号25を着用
- 加入直後からレギュラーの座を獲得
- J1リーグ47試合に出場し、1得点を記録
- YBCルヴァンカップでは7試合に出場し、チームの準優勝に貢献
- JPFA アワード J1ベストイレブンを受賞
鹿島での1年間で大きな成長を遂げ、守備力と攻撃への貢献を両立させた佐野選手。
J1リーグでも高い評価を受ける選手となりました。
特に、J1ベストイレブンに選出されたことは、彼の実力が日本のトップリーグでも認められたことを示しています。
2023年8月19日のサガン鳥栖戦では、J1リーグ初得点かつ鹿島での初ゴールを決めました。
このゴールは後半ロスタイムの決勝点となり、チームの2-1逆転勝利に大きく貢献。
攻守両面での活躍が光る1年となりました。
1.FSVマインツ05への移籍
2024年7月4日、佐野海舟選手のドイツ・ブンデスリーガ1部の1.FSVマインツ05への完全移籍が発表されました。
日本人選手の海外挑戦として大きな注目を集めました。
- 4年契約で2024年シーズンからの加入が予定
- 守備的ミッドフィールダーとしての能力が評価される
しかし、移籍発表直後の2024年7月14日、佐野海舟選手が逮捕されるという事件が発生。この事件により、マインツへの合流は延期される可能性が高まっています。
この事件は、佐野選手のキャリアに大きな影響を与えることが予想されます。
海外での活躍が期待されていただけに、サッカーファンにとっても大きな衝撃となりました。
佐野海舟選手の日本代表経歴
画像引用元:SOCCERKING
佐野海舟選手の日本代表としての活躍も見逃せません。
鹿島アントラーズでの活躍が認められ、日本代表に選出されることとなりました。
- 2023年11月16日、ワールドカップアジア2次予選のミャンマー戦で日本代表デビュー
- 2024年開催のアジアカップに日本代表として選出され、1次リーグで2試合に出場
- 代表でも守備的ミッドフィールダーとして起用され、ボール奪取能力を活かして中盆での守備力強化に貢献
佐野海舟選手は、日本代表での経験はまだ浅いものの、その守備力と中盤での存在感が評価され、代表チームの一員として期待される選手となっていました。
特に、守備的中盤の選手として、チームに新たな選択肢をもたらしたことは大きな貢献だと言えるでしょう。
しかし、2024年7月の事件により、今後の代表キャリアに大きな影響が出ることが予想されます。
日本代表としての活躍を期待されていただけに、非常に残念な事態となってしまいました。
佐野海舟選手の基本情報
プロフィール
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経歴
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佐野海舟選手の家族ですが、父親の龍一さんは元スキー選手で、佐野海舟選手のサッカー人生に大きな影響を与えました。
また、弟の佐野航大さんもプロサッカー選手として活躍しており、オランダのNECナイメヘンに所属しています。
サッカー一家と呼べる環境で育ったことが、佐野海舟選手の成長に大きく寄与したことは間違いないでしょう。
まとめ
佐野海舟選手は、幼少期から卓越したサッカーセンスを持ち、高校時代には全国大会で活躍する注目選手でした。
3歳でボールを蹴り始め、父親の影響を強く受けながらサッカーの道を歩み始めた海舟選手。
高校時代には、全国大会で3年連続の出場を果たすなど、その才能を開花させていきました。
プロ入り後も着実にキャリアを積み重ね、FC町田ゼルビアでJ2リーグでの活躍を経て、J1鹿島アントラーズでも主力として活躍。
特に鹿島での1年間は飛躍の年となり、J1ベストイレブンに選出されるほどの実力を示しました。
その実力は日本代表に選出されるほどで、守備的中盤の選手として代表チームに新たな可能性をもたらしました。
ドイツ・ブンデスリーガへの移籍も決まり、更なる飛躍が期待されていた矢先の逮捕事件は、サッカーファンに大きな衝撃を与えました。
今後、彼に対してどのような展開が待っているのか今はまだ分かりませんが、最新情報がアップデートされましたら追記していきたいと思います。