現在、フランス1部・スタッド・ランスに所属する伊東純也選手は、稲妻のようなスピードでピッチを駆け抜ける、日本代表のアタッカーです。
今や、“森保ジャパン”にとって、なくてはならない存在になった伊東純也選手ですが、学生時代は、全国大会や年代別日本代表とは縁がない、無名な選手だったことはご存知でしょうか。
今回は、そんな伊東純也選手の学歴と経歴について深く掘り下げ、これまでの道のりを紐解いていきます。
プロ入りのきっかけや、学生時代のエピソードも紹介していくので、ぜひ最後まで読んでみてください。
この記事を読むことで、無名選手から日本代表にまで駆け上がった、伊東純也選手のヒストリーが明らかになるでしょう。
Contents
伊東純也のプロフィール
画像引用元:FOOTBALL ZONE
まずは、伊東純也選手のプロフィールを見ていきましょう。
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神奈川県横須賀市出身の31歳。
小学生時代に地元の「鴨居SC」でサッカーを始める。
その後、「横須賀シーガルズ」、「逗葉高等学校」、「神奈川大学」を経て、2015年にヴァンフォーレ甲府へ入団。
2016年に柏レイソルに移籍すると、2019年にはベルギー1部のKRCへンクへ期限付き移籍を果たす。
2022年7月、フランス1部リーグのスタッド・ランスへの移籍を発表し、今季3シーズン目のスタートを切っている。
伊東純也の学歴
画像引用元:SOCCER DIGEST Web
ここでは、伊東純也選手の学歴を紹介していきます。
- 横須賀市立小原台小学校
- 横須賀市立鴨居中学校
- 神奈川県立逗葉高等学校
- 神奈川大学
伊東純也選手が通った学校は、いずれもサッカーの強豪校とは言えません。しかし、そのような環境でも彼は確実に成長を遂げてきました。
ここからは、その成長過程を詳しく見ていきます。
横須賀市立小原台小学校時代
神奈川県横須賀市で生まれた伊東純也選手が通ったのは、横須賀市立小原台小学校です。
小学校1年生のとき、地元の「鴨居SC(サッカークラブ)」に入団し、本格的にサッカーを始めます。
画像引用元:Number Web
鴨居SCは、地域に根付いた普通のサッカーチームで、運動が苦手な子でも参加できるチームだったようです。
“気まぐれなサッカー小僧”としてプレーする伊東純也選手は、チームのレギュラーとして活躍していました。
伊東純也選手の父・利也さんは、当時の様子を次のように話します。
「いまと同じようにウイングをしていて、ボールが逆サイドにあるときは、足をクロスさせて休んでいました。でも、いざボールが来ると走り出してチャンスを作るんです。自分のところにボールが来ると、きっちりやるので仲間も文句をいえない。やることやってるからいいでしょ? という雰囲気を出しているわけです」
引用:サカイク
チームの中心選手として活躍した伊東純也選手は、小学校6年生のときに横浜F・マリノスジュニアユースの入団テストを受けるも、結果は不合格。
小学生で、初めての挫折を経験しました。
横須賀市立鴨居中学校時代
横浜F・マリノスジュニアユースに落ちた伊東純也選手は、鴨居中学校へ進学して間もなく、地域の少年団「横須賀シーガルズ」に入団しました。
伊東純也選手の Instagramには、中学一年生の頃の写真が投稿されています。
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当時、「横須賀シーガルズ」で監督を務めていた徳能克也さんは、中学生時代の伊東純也選手について次のように振り返ります。
「すばしっこく、ボールを持ったら離さない。サッカーが大好きな子で、手を抜かない姿勢は仲間からの信頼も厚かった」
引用:読売新聞オンライン
伊東純也選手は、試合前にアイスしか食べてこなかったことがあり、食事には無頓着でしたが、練習を休んだり遅刻したりしたことはなかったといいます。
この中学生時代の地道な練習の積み重ねが、後のステップアップに繋がっていったのでしょう。
神奈川県立逗葉高校時代
高校は、家庭の方針で公立高校に進学することを決めていた伊東純也選手。
その中から選んだのが逗葉高校でした。
選んだ理由は「家から通える」から。
なんとも、伊東純也選手らしい理由です。
そんな理由で通い始めた高校ですが、ここで大きな転機が訪れます。
インターハイ予選の初戦、強豪・桐光学園との試合に大学のスカウトが何人か来ていたのです。
「等々力での試合には、大学のスカウトが何人か来ていたようです。もちろん、桐光の選手を見るために。ですが、そこで純也が活躍したわけです。開始5分くらいだったかな。左サイドから敵を何人もかわし、シュートを決めて。あのプレーで名前を覚えてもらって、いくつかの大学から声をかけてもらえたんです」
引用:サカイク
試合は1-6で大敗したものの、伊東純也選手には複数の大学から声がかかり、その中の一つ、神奈川大学への進学を決めました。
神奈川大学時代
推薦入学で神奈川大学に進学した伊東純也選手。
神奈川大学を選んだ理由も「家から通えるから」だったそうです。
高校時代までは、全国大会や年代別日本代表とは無縁だったサッカー人生でしたが、大学時代にようやく頭角を表します。
画像引用元:Number Web
2013年、大学3年生のときに関東大学サッカー2部リーグで「得点王」と「ベストイレブン」を受賞し、一躍注目を集めます。
大学4年になったシーズンには、アシスト王に輝き、2年連続でベストイレブンに選出。
さらには、全日本大学選抜にも名を連ねたことにより、ヴァンフォーレ甲府、モンテディオ山形からの獲得オファーが届くのです。
神奈川大学の大森酉三監督は、「伊藤純也選手は感受性が豊かで素直なぶん、もし伝統ある大学に進学していたら彼の良さが消えてしまっていたかもしれない」と言います。
「家から通えるから」という理由で進学を決めた神奈川大学での4年間は、伊東純也選手のサッカーキャリアにとって大きなターニングポイントとなったことに間違いありません。
伊東純也の学生時代のエピソード
画像引用元:Number Web
高校・大学を「家から近いから」という独特の理由で選んだ伊東純也選手は、その感性と行動力で多くのエピソードを生み出しました。
特に大学時代には、伝説的なエピソードが残されています。
「強い学校の上下関係とかが嫌だな」と話す伊東純也選手は、神奈川大学に進学した1年目でも自然体。
4年生の先輩に対して「ジュース買ってよ」と言っていたそうです。
「いい意味でリラックスしていて、素直に思ったことを話しているのは当時のままですね。
学生時代は、3つ上の先輩の僕に向かって自販機の前で『ねぇ大野くん、ジュース買ってよ』とか平気で言ってくるなど、ちょっと生意気な部分もありました。でも、彼の場合、それが全然嫌味じゃないんですよ。」
引用:Number Web
画像引用元:ゲキサカ
また、チームの主力になりつつあった大学2年生の時には、練習に遅刻して坊主にしたことがあったようです。
「確か2年のときだったと思うのですが、チームの主力になりつつあったのに、立て続けに練習に遅れてきたことがありました。遅刻を繰り返した場合には頭を丸めるというチームルールがあったので、純也は翌日に坊主にしてきました。
周りに迷惑をかけるようなことはなかったですが、どこかフワフワしたような緩さがあったのは確か。それでもその直後のリーグ戦でゴールを決めてしまうのが純也なんです(笑)」引用:Number Web
マイペースでありながらも、勝負になると負けず嫌いを発揮する。
人間味溢れる“鈍感力”を備えた伊東純也選手の性格が、多くの人を惹きつけるのも納得です。
伊東純也のプロでの経歴
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伊東純也選手がこれまで所属してきたクラブは以下の通りです。
- ヴァンフォーレ甲府
- 柏レイソル
- KRCヘンク(ベルギー)
- スタッド・ランス(フランス)
それぞれのクラブでの活躍とともに、伊東純也選手のプロキャリアを見ていきましょう。
ヴァンフォーレ甲府時代
伊東純也選手、J SPORTSさんにインタビューして頂きました!http://t.co/2RL1prg4C3#vfk #JSports pic.twitter.com/NyRY5gtJZE
— ヴァンフォーレ甲府 (@vfk_official) July 10, 2015
プロデビューとなったヴァンフォーレ甲府での成績は以下の通りです。
シーズン | 公式戦 | 得点 | アシスト |
2015年 | 36試合 | 4得点 | 0アシスト |
当時まだ全国的に有名ではなかった伊東純也選手にプロ入りの声をかけたのが、当時J1リーグに所属していたヴァンフォーレ甲府です。
伊東純也選手は、2015年3月14日、リーグ第2節の名古屋グランパス戦でプロデビュー。第9節の鹿島アントラーズ戦でプロ初ゴールを決めました。
加入1年目から、持ち前のスピードとドリブルで強烈なインパクトを残した伊東純也選手のプレー集をご覧ください。
ヴァンフォーレ甲府での在籍期間は1年間だけでしたが、プロで戦っていくための確かな自信をつけ、柏レイソルへの移籍を決断します。
柏レイソル時代
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日本代表への道を切り開いた柏レイソル時代の成績は以下の通りです。
シーズン | 公式戦 | 得点 | アシスト |
2016年 | 39試合 | 7得点 | 6アシスト |
2017年 | 38試合 | 6得点 | 4アシスト |
2018年 | 40試合 | 8得点 | 13アシスト |
「黄色のユニフォームが好きだから」
横浜F・マリノスや大宮アルディージャなど、他にも獲得オファーがあったなか、伊東純也選手らしい理由で柏レイソルへの加入を決めたといいます。
加入1年目となった2016年シーズン前のキャンプで、ミルトン・メンデス監督によってSB(サイドバック)にコンバートされ、開幕当初は右SBとして試合に出場。
しかし、シーズン途中の監督交代により、ウイングハーフやサイドハーフなどの攻撃的なポジションで起用されるようになります。
2017年シーズンはリーグ戦全試合に出場し、A代表に初選出。
シーズントータル6得点4アシストの活躍を見せ、Jリーグ優秀選手賞を受賞しました。
柏のスピードスターとして活躍した、伊東純也選手のプレー集がこちらです。
2018年シーズンも、チームの主力としてリーグ戦全34試合に出場した伊東純也選手ですが、チームはリーグ17位に沈み、J2降格となってしまいました。
KRCヘンク時代
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プロキャリア最長3年半在籍した、KRCヘンク時代の成績は以下の通りです。
シーズン | 公式戦 | 得点 | アシスト |
2018-2019年 | 13試合 | 3得点 | 2アシスト |
2019-2020年 | 37試合 | 5得点 | 2アシスト |
2020-2021年 | 38試合 | 11得点 | 14アシスト |
2021-2022年 | 48試合 | 8得点 | 16アシスト |
2022-2023年 | 1試合 | 0得点 | 1アシスト |
まずは、ベルギー1部のKRCヘンクへ期限付き移籍した伊東純也選手のプレー集をご覧ください。
伊東純也選手は、加入1年目で、クラブ8シーズンぶりとなるリーグ優勝に貢献。さらに2020年には、こちらもクラブ8シーズンぶりとなるベルギーカップ優勝へとチームを導きます。
チームの主力として3年半在籍した伊東純也選手が、KRCヘンクのもたらした功績はあまりにも大きなものでした。
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また、KRCヘンク在籍中に伊東純也選手が個人で獲得した功績は以下の通りです。
- ベストイレブン(2020-2021年シーズン)
- アシスト王(2021-2022年シーズン)
- 年間最優秀ゴール賞(2021-2022年シーズン)
そして2022年7月、多くのサポーターに愛された伊東純也選手はベルギーを離れ、フランスへと挑戦の場を移します。
「2019年にヘンクに到着したとき、これほどこのクラブや親切な人たちに感謝することになるとは、思ってもみませんでした。ここでのシーズンは素晴らしかった。リーグ、カップ、スーパーカップで優勝し、情熱的な試合をした」
スタッド・ランス時代
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今季で3シーズン目を迎えた、スタッド・ランスでの成績は以下の通りです。
シーズン | 公式戦 | 得点 | アシスト |
2022-2023年 | 36試合 | 6得点 | 5アシスト |
2023-2024年 | 31試合 | 3得点 | 7アシスト |
新天地となったスタッド・ランスでは、加入1年目から公式戦36試合に出場し、6得点5アシストを記録。
伊東純也選手本人も「イメージ通りに活躍できていると思う」と話すほど、順調なスタートを切りました。
加入2年目となった2023-2024年シーズンも、チームの主力として公式戦31試合に出場。
右サイドからのドリブルやクロスボールで、幾度もチャンスを演出します。
伊東純也選手は、シーズントータル3得点7アシストの活躍を見せるものの、クラブは「欧州カップ戦」の出場を逃してしまい、悔しさの残るシーズンとなりました。
伊東純也の日本代表での経歴
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伊東純也選手の日本代表での経歴をまとめてみました。
シーズン | 代表カテゴリー | 大会等 |
2016年 | U-23日本代表 | ・キリンチャレンジカップ |
2017年 | 日本代表 | ・ EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017 |
2018年 | 日本代表 | ・キリンチャレンジカップ |
2019年 | 日本代表 | ・AFCアジアカップ2019 ・2022 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
2021年 | 日本代表 | ・キリンチャレンジカップ |
2022年 | 日本代表 | ・2022 FIFAワールドカップ カタール大会 |
2023年 | 日本代表 | ・キリンチャレンジカップ |
2024年 | 日本代表 | ・AFCアジアカップ2023 |
学生時代は無名だった伊東純也選手が、初めてカテゴリー別の日本代表に選出されたのは2016年のU-23日本代表です。
手倉森監督率いるU-23日本代表として、キリンチャレンジカップ・南アフリカ戦に出場するものの、リオデジャネイロオリンピックのメンバーからは落選しました。
2017年には、ハリルホジッチ監督が指揮する日本代表に初選出。
東アジアE-選手権で国際Aマッチでのデビューを飾ります。
日本代表初ゴールは、2018年9月に行われたキリンチャレンジカップのコスタリカ戦。さらに、同年10月に行われたキリンチャレンジカップ、パナマ戦で2試合連続となるゴールを記録しました。
2018年に発足した“森保ジャパン”では、堂安律選手(SCフライブルク)の控えに甘んじることが多かったものの、2022 FIFAワールドカップ・アジア最終予選でスタメンを奪取。
アジア最終予選では、歴代最多タイとなる4試合連続ゴールを決め、日本代表のワールドカップ出場に大きく貢献しました。
2022年、カタールワールドカップに臨む日本代表メンバーに選出されると、この大会全試合に出場。1アシストを記録し、チームのベスト16に貢献しました。
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2024年、AFCアジアカップ2023のメンバーに招集され、グループステージ全3戦に出場するも、疑惑報道により途中離脱。
2024年9月、日本代表への復帰が秒読みと報じられています。
まとめ
今回は、伊東純也選手の学歴と経歴、さらには、学生時代のエピソードも紹介してきました。
この記事のまとめは、以下の通りです。
- 横須賀市立小原台小学校時代:鴨居SCで本格的にサッカーを始める / 横浜F・Fマリノスジュニアユースの入団テストは不合格
- 横須賀市立鴨居中学校時代:「横須賀シーガルズ」で地道にサッカーに向き合う
- 神奈川県立逗葉高校時代:インターハイ予選での活躍がスカウトの目に留まり神奈川大学への進学を決める
- 神奈川大学時代:全日本大学選抜に選出されるほどの活躍を見せたことで、ヴァンフォーレ甲府からの獲得オファーが届く
- 学生時代のエピソード:3つ上の先輩に「ジュース買ってきて」と言える、マイペースぶりを発揮 / 練習に遅刻してきて坊主にしたことがある
- プロでの経歴:ヴァンフォーレ甲府 / 柏レイソル / KRCヘンク(ベルギー) / スタッド・ランス(フランス)
- 日本代表での経歴:U-23日本代表 / 日本代表(A代表)
伊東純也選手の学生時代は、全国大会や年代別日本代表とは無縁のキャリアを歩んできました。
また、高校や大学を選択した理由は「家から通えるから」という、まさかの答えに、伊東純也選手の人間味が感じられます。
常に自然体でサッカーと向き合う伊東純也選手のプレーは、これからも多くのサッカーファンを魅了していくでしょう。