WBC世界バンタム級王者の中谷潤人選手は、その圧倒的な強さでボクシングファンを魅了しています。
今後は井上尚弥選手との対戦も期待されるなど、世界からも注目を集めるボクサーです。
そんな中谷潤人選手がどのような家族に支えられて成長してきたのか。興味を持つファンも多いはず。
中谷潤人選手は、三重県東員町で両親と弟との4人家族で育ちました。
弟の龍人さんは、現在、中谷潤人選手の専属マネージャーを務め、最も身近な存在として兄をサポートしています。
両親も長年にわたり息子の夢を全力で応援し、家族一丸となって中谷潤人選手のボクシング人生を支え続けてきました。
本記事では、中谷潤人選手の家族構成を詳しく掘り下げながら、彼を支える家族とのエピソードも紹介していきます。
この記事を最後まで読むことで、中谷潤人選手の家族構成について詳しく知ることができ、ボクシングファン同士でより深い話題を共有できるようになるでしょう。
Contents
中谷潤人の家族構成は弟1人の4人家族
この投稿をInstagramで見る
中谷潤人選手の家族構成は以下の通りです。
- 父親:澄人さん
- 母親:府見子さん
- 長男:中谷潤人選手
- 次男:龍人さん
中谷潤人選手は、両親と弟の4人家族で育ちました。
三重県東員町出身の中谷潤人選手は、「礼儀を身につけてほしい」という両親の願いがあり、小学3年生から近所にある極真空手の道場に通い始めます。
しかし、当時の中谷潤人選手は体が小さかったこともあり、一度も試合に勝つことができませんでした。
画像引用元:The Boxers(左:弟・龍人さん・右:中谷潤人選手)
そんな中谷潤人選手がボクシングに転向したのは小学校6年生の時。
両親が営むお好み焼き屋の常連客から「体重ごとに階級があるボクシングがいい」と勧められたことがきっかけでした。
中谷潤人選手は、中学1年生から三重県桑名市にあるKOZO(コーゾー)ジムに通い始めると、高校には進学せずアメリカでのボクシング留学を決断。
アメリカから帰国後は、神奈川県相模原市にあるM.Kジムへ移籍します。
その後、中谷潤人選手のプロ入りが決まると、両親は三重県にある実家を売却。
M.Kジムがある神奈川県に一家で移住し、家族総出でのサポートを始めるのです。
まさに、中谷潤人選手のボクシング人生は、家族とともに歩んできたと言っても過言ではありません。
中谷潤人の弟は元ボクサー
この投稿をInstagramで見る
ここでは、中谷潤人選手の弟・龍人さんの経歴を紹介していきます。
弟・龍人さんは、元アマチュアボクサーだった経験を生かし、兄とともに世界王座までの道のりを歩んできました。
弟:中谷龍人さん
画像引用元:相模原市スポーツ協会
中谷潤人選手の弟の名前は中谷龍人さん。中谷潤人選手の2歳年下の弟です。
兄の影響でボクシングを始めた弟・龍人さんは、小学3年生から中学3年生までボクシングジムに通っており、日本協会主催のU-15全国大会で準優勝の経験があります。
僕がボクシングをやっていた当時から兄はキッズの大会とかで何度も優勝していて、そんな兄に練習でいつもやられていました。毎日鼻血出したり、口から血が出たりして、正直嫌でした(笑) 普段は優しいんですが、ボクシングになると手加減もないので(笑) そのおかげで僕の試合の時は相手が全然怖くなかったし、痛くなかったですけどね(笑)
引用:スポーツささえびと
中谷潤人選手のプロ入り後は、兄のボクサー人生をサポートすることを決断。
日本ボクシングコミッションのマネージャーライセンスを取得し、現在は兄の専属マネージャーを務めています。
中谷龍人さんは「とん丸」を経営していた元料理人
2019年8月、当時日本フライ級王者だった中谷潤人選手は、弟・龍人さんと一緒にトンテキ専門店「とん丸」をオープンさせます。
オーナーは兄の中谷潤人選手。大阪で料理の修行経験のある弟・龍人さんが店長を務めていました。
画像引用元:日刊スポーツ
「とん丸」は、昼はトンテキランチ専門店。夕方からは居酒屋として食事やお酒が楽しめるお店として、JR南橋本駅西口から徒歩3分の好立地にオープンします。
しかし、まもなく始まったコロナ禍の影響を受け、オープンからわずか1年ほどで閉店となってしまいました。
この投稿をInstagramで見る
現在は中谷潤人のマネージャー
弟・龍人さんは、現在、中谷潤人選手の専属マネージャーを務めています。
マネージャーとしての主な仕事は、中谷潤人選手の練習と体重の管理です。
また、日々のトレーニングメニューもトレーナーと相談しながら決めていきます。
調理師免許を持つ弟・龍人さんは、中谷潤人選手のアメリカでのトレーニングにも帯同し、現地で食材の買い出しから、食事の提供までを行っているようです。
三重県にいた頃は実家が料理屋だったこともあって、中学を卒業した後、料理人を目指して大阪で料理の勉強をしていた時期もあったので、むこう(アメリカ)にいる間は僕が作っています。 ただ調理師免許をもっているだけなので、本人と話したり、色んなボクサーの方に聞いたりしたことを試してって感じで日々勉強しています。自己流でやっていますね(笑)
引用:スポーツささえびと
さらに、弟・龍人さんのマネージャーとしての強みは“自身もボクシング経験がある”ということです。
辛い減量の時期には食事を控えたり、一緒に走ったりして、兄と同じ気持ちでのコンディション管理を徹底しています。
画像引用元:スポーツささえびと
マネージャーとしてのやりがいを「兄が結果で返してくれること」と語る弟・龍人さん。
今後も中谷潤人選手の最も身近な存在として、兄のボクシング人生を支え続けていくことでしょう。
中谷潤人の父親はどんな人?
この投稿をInstagramで見る
中谷潤人選手の父親はどんな人なのでしょうか。
ここでは、父・澄人さんの人柄や、経歴を紹介していきます。
世界王者を育てた、父・澄人さんの教育方針にも注目です。
父親:中谷澄人さん
中谷潤人選手の父親の名前は、中谷澄人さんです。
父・澄人さんは、調理の専門学校を卒業後、地元三重県で板前として修行を積みました。
そして、料理人として働き始めた父・澄人さんは19歳で結婚。それから2年後の21歳の時に、長男である中谷潤人選手が誕生しています。
画像引用元:現代ビジネス
二人の息子に対する父・澄人さんの教育方針は「人と違うことをやりなさい」ということです。
「没頭できるものを見つけ邁進する。そのことで、誰にも負けない自分を作って欲しい」。これが、父・澄人さんの息子たちに対する願いでした。
その言葉通り、14歳になった中谷潤人選手はボクシングの腕を磨くため単身アメリカへと旅立ち、さらに、弟・龍人さんも料理人を目指し大阪へ修行にいくこととなるのです。
息子たちが決めたことを尊重し、親としてできる限りのサポートをしていく。
父・澄人さんの全力の子育ては、きっと二人の息子にとって心強かったに違いありません。
お好み屋「十兵衛」を経営していた料理人
大阪で料理の修行をした父・澄人さんが29歳のとき、地元にオープンさせたのが「十兵衛」というお好み焼き屋です。
「安くて美味しい料理をふるまいながら、お金ではなく人という財産を子供達に残してあげたいと」願ったお店は、二人の息子にとって人生のターニングポイントとなるきっかけを与えてくれました。
「いろんな人生経験をもったお客さんたちが来てくださって、話をしてくださって、潤人も龍人も、そういう皆さんに人格をつくっていただいた、という思いが大きいんです」
(父・澄人さん)
引用:The Boxers
開店当初は、ゆっくり飲みたいというお客さんの要望に応え、二人の息子を仕事場に入れなかったという父・澄人さん。
しかしある日の夜、ゲーム機を持ったまま眠る息子たちの姿を目にしたとき、「息子たちに寂しい思いをさせてしまっている」と、自分の仕事に対する考えを悔いたそうです。
それからは、常連客が座るカウンターの、左端の席が兄弟の定位置となります。
中谷兄弟は、お客さんに宿題を教えてもらうこともあれば、ときには料理を運んだりドリンクを作ったりと、お店の手伝いをしながら、お客さんとの距離を縮めていきました。
そんな沢山のご縁が生まれた「十兵衛」は、2015年に閉店。プロデビューした中谷潤人選手を身近でサポートするため、一家で三重県から神奈川県へと引っ越したことがその理由です。
大切に経営してきたお店をたたんでまでも、息子のサポートを優先させた父・澄人さんの決断には驚かされます。
中谷潤人の「愛の拳士」はお店の常連さんから
中谷潤人選手には「愛の拳士」という異名があります。
自身のInstagramにも記載するほど大切にしているニックネームの名付け親は、両親が営んでいたお好み焼き屋「十兵衛」の常連客です。
「潤人はお客さんたちにかわいがってもらっていて、半分お客さんに育ててもらっていたようなものでした」(母・府見子さん)
引用:中日スポーツ
支えてくれる周囲の人たちへの感謝の気持ちを忘れないようにと、両親に教え込まれてきた中谷潤人選手は、自身のニックネームについて次のように語っています。
「ファンの方、支援者の方、チームスタッフ、いろんな人からサポートを受けて、愛をもらって、僕はこうして戦うことができています。その気持ちをボクシングで恩返しするという意味で“愛の拳士”というニックネームを付けさせてもらっています」
“拳士”という力強さと、“愛”という優しさを併せ持ったニックネームには、中谷潤人選手を支えてきた多くの人たちの想いが込められていることがわかります。
中谷潤人の母親はどんな人?
この投稿をInstagramで見る
中谷潤人選手の母親はどんな人なのでしょうか。
ここでは、母・府見子さんに関する情報を深く掘り下げていきます。
中谷潤人選手の食事管理をしてきた、母・府見子さんの料理の腕前にも注目です。
母親:中谷府見子さん
中谷潤人選手の母親の名前は中谷府見子さんです。
母・府見子さんは、父・澄人さんとともにお好み焼き店「十兵衛」を切り盛りしながら、二人の息子たちの子育てをしてきました。
画像引用元:スポーツ報知(左から2番目が母・府見子さん)
中谷潤人選手がボクシングを始めて以来、自宅に練習スペースを作ったり、アメリカ留学の諸費用を負担したりと、家族総出でサポートしてきた中谷家。
その家族の姿をあたたかく見守ってきたのが、母・府見子さんの存在だったに違いありません。
中谷潤人の食事を全面サポート
中谷潤人選手の食事管理を全面サポートしていたのが母・府見子さんです。
プロになりたてのころ相模原市で一人暮らしをしていた中谷潤人選手は、食生活の乱れによる貧血がひどく、倒れてしまったこともありました。
この出来事をきっかけに両親は相模原市に引っ越し、母・府見子さんによる食事のサポートが始まりました。
母・府見子さんが作る料理のなかで、中谷潤人選手がもっとも好きなのは「特性オムライス」。試合前の“勝負飯”は、オムライスと決めているようです。
オムライスの話をしている時は感情が豊かになりますね笑
(中谷潤人選手)
引用:M.Tボクシングジム
母・府見子さんが作る料理のファンは、息子の中谷潤人選手だけではありません。
その一人が、WBO世界フライ級王者のアンソニー・オラスクアガ選手です。
オラスクアガ選手と中谷潤人選手は、15歳の時からロサンゼルスでの練習で切磋琢磨してきた盟友です。
この投稿をInstagramで見る
彼が日本で試合をするときは中谷潤人選手の自宅に泊まって調整をしており、母・府見子さんが減量メニューを作ります。
オラスクアガ選手は「ママの料理は全部大好き。一番が選べないほど何でもおいしい」と言い、中谷家で食事をすることが、日本で試合をするときの楽しみの一つになっているようです。
「もう恒例。潤人のママの料理が楽しみだ」
(オラスクアガ選手)
引用:gooニュース
今後、二人の世界王者に愛される母・府見子さんの手料理のファンが増え、試合前の“勝負飯”にしたいというボクサーが出てくるかもしれません。
中谷潤人の家族は仲が良い!
画像引用元:The Boxers
中谷潤人選手の家族は仲が良いことでも知られています。
ただし、その仲の良さとは「家族みんなで楽しく旅行に行きます!」といった類いのものではありません。
中谷家の仲の良さとは、家族のことを最優先に考え、行動する「家族の絆」のことです。
- 当時14歳だった中谷潤人選手のアメリカ留学を両親が後押し
- 自宅を売却・経営する飲食店をたたみ、中谷潤人選手の住む相模原市に一家で引越し
- 兄弟が経営する飲食店「とん丸」を両親がサポート
- 弟・龍人さんはマッサージ術などを習得し、兄の専属マネージャーに就任
これらのエピソードは、どれも決して容易な決断や行動ではなかったはずです。
実際、アメリカ留学へと向かう中村潤人選手を空港まで見送りに行った場面では、中部国際空港セントレアの搭乗口に消えた息子の姿を見届けた父・澄人さんの目に涙が溢れていたといいます。
この投稿をInstagramで見る
このような、家族のためを思った決断と行動を繰り返すたびに中谷家の絆はさらに深まり、いわゆる“仲の良い家族”として多くのファンに知られていったのです。
まとめ
今回は、WBC世界バンタム級王者・中谷潤人選手の家族について詳しく紹介してきました。
この記事でのまとめは以下の通りです。
- 家族構成:父親、母親、長男(本人)、次男の4人家族
- 弟・龍人さん:中谷潤人選手の2歳年下 / 元アマチュアボクサー / 兄がオーナーを務めるトンテキ専門店「とん丸」で店長を務めた / 日本ボクシングコミッションのマネージャーライセンスを取得し、現在は兄の専属マネージャーを務めている
- 父・澄人さん:教育方針は「人と違うことをやりなさい」/ 自身が経営していたお好み屋「十兵衛」で多くのご縁が生まれた / 中谷潤人選手の異名「愛の拳士」の名付け親は十兵衛に通う常連客
- 母・府見子さん:中谷潤人選手の食事を全面的にサポートしてきた / 中谷潤人選手の大好物は「特性オムライス」/ WBO世界フライ級王者オラスクアガ選手も府見子さんが作る料理のファン
- 家族仲が良い:中谷潤人選手のアメリカ留学の後押しや、飲食店の共同経営など、家族のことを思った決断と行動を繰り返すことで「家族の絆」を深めていった
中谷潤人選手のボクシング人生は家族とともに歩んできたといっても過言ではありません。
感謝の気持ちをボクシングで恩返ししていく“愛の拳士”は、今後もさらなる進化を遂げていくことでしょう。