早田ひなの学歴や経歴を紹介!高校は福岡県の希望が丘高校!学生時代のエピソードは?

早田ひな 学歴 経歴

2024年パリオリンピックで卓球女子シングルス銅メダル、団体銀メダルを獲得した早田ひな選手。

福岡県出身の彼女は、幼少期から卓球に打ち込み、着実に実力を伸ばしてきました。

東京オリンピックではリザーブとして悔しい思いをしましたが、その経験を糧に成長を遂げ、パリでは日本卓球界のエースとして活躍。

左腕を痛めながらも、最後まで諦めずに戦い抜き、見事メダルを手にしました。

今回は、早田ひな選手の学歴や経歴、そしてパリオリンピックでの活躍について詳しく紹介します。

彼女の歩んできた道のりと、努力の末に掴んだ栄光の瞬間をご覧ください。

早田ひなのプロフィール

早田ひな画像引用元:Yahoo!ニュース

  • 生年月日:2000年7月7日
  • 出身地:福岡県北九州市
  • 身長:166cm
  • 所属:日本生命
  • 戦型:左シェーク攻撃型

早田ひな選手は、2000年7月7日に福岡県北九州市で生まれました。

4歳の時に卓球を始め、地元の名門「石田卓球クラブ」で才能を開花させていきました。

166cmの高身長と長い手足を活かしたプレースタイルが特徴で、パワフルな打球と細やかな台上処理を得意としています。

興味深いことに、早田選手は卓球では左利きですが、日常生活では右利きだそうです。

また、台上から離れ、体を大きく使って繰り出すフォアドライブが彼女の代名詞となっています。

2015年からはチキータの技術習得にも注力し、多彩な技を身につけてきました。

早田ひなの学歴

パリオリンピックで個人銅メダル、団体銀メダルを獲得した早田ひな選手ですが、学生時代はどのように過ごしていたのでしょうか?

ここでは早田ひな選手の学生時代にフォーカスし詳しく見ていきたいと思います。

中間市立中間東小学校

早田ひな画像引用元:讀賣新聞

早田ひな選手は、福岡県北九州市立鞘ヶ谷小学校に通っていました。

小学生時代から卓球に熱心に取り組んでおり、練習や遠征で忙しい日々を送っていたようです。

小学2年生の時には、全日本卓球のバンビの部の全国大会に出場し、予選リーグを通過するという快挙を成し遂げました。

また、練習の成果や課題を記録する「卓球ノート」をつけるなど、幼い頃から向上心の高い選手だったことがうかがえます。

エピソードとして、6歳の時に母親が買ってくれた黄色の毛布が、早田ひな選手にとって特別な存在となったそうです。

現在でも遠征時には必ずこの毛布を持参しているとのことで、幼少期からの思い出の品が、彼女の心の支えとなっているのでしょう。

遠征の必需品となっているひよこ柄の黄色い毛布は、今大会も持参。6歳から愛用しており、「匂いとかも安心感があって、完全オフになれる」と準備万端でフランスに飛び立った。

引用:サンスポ

中間市立中間東中学校

早田ひな画像引用元:Nittaku

中学時代、早田ひな選手は福岡県の中間市立中間東中学校に進学しました。

この時期も卓球の練習に励み、技術を磨いていきました。

中学1年生と2年生の時には、全国中学校卓球大会で2年連続優勝という素晴らしい成績を収めています。

また、2014年(中学2年生)には、ITTFワールドツアーチリオープンに出場し、国際大会デビューを果たしました。

しかし、中学2年生の時には成長期特有の悩みも経験しました。

身長が急に伸びたことがきっかけで、一時的にスランプに陥ったのです。

それまでのプレースタイルが通用しなくなり、苦しんだ時期もあったようです。

このスランプを克服するため、当時のコーチのアドバイスを受け、世界ランキング1位を誇った中国出身の丁寧選手のプレーを参考にしました。

このアドバイスを基に、長身を活かしたプレースタイルを確立していったのです。

福岡県立希望が丘高校

早田ひな画像引用元:RKBオンライン

高校時代、早田ひな選手は福岡県の私立高校である希望が丘高校に進学しました。

この高校はスポーツが盛んなことでも知られています。

高校時代は卓球に専念できる環境で3年間を過ごしました。

早田ひな選手自身が「高校時代は卓球に専念できた」と語っているように、この時期は卓球選手としての基礎を固めるための重要な時期だったようです。

しかし、世界レベルで戦うことに忙しく、普通の高校生活を送る余裕はあまりなかったと推測されます。

高校生でありながら、すでにプロの卓球選手として活動していたのです。

高校卒業時には、自身のTwitterで「本日無事に希望が丘高校を卒業しました。沢山の方々にサポートして頂き、卓球に専念できる環境で3年間過ごすことができ本当に感謝しています」とコメントしており、充実した高校生活を送れたことがうかがえます。

大学には行っていない

早田ひな選手は高校卒業後、大学には進学せず、プロの道を選びました。その主な理由としては以下のようなことが考えられます。

  • 高校時代からの実績:早田ひな選手は高校時代から国内外の大会で優れた成績を収めており、すでにプロとしての実力を示していました。
  • プロ契約:高校2年生の頃から「日本生命レッドエルフ」に所属しており、卒業後もそのまま同チームでプロ選手として活動を継続することができました。
  • 世界レベルでの活躍:高校生の時期から世界レベルの大会で戦う機会が多く、大学進学よりも国際舞台での経験を積むことを優先したと推測されます。
  • キャリアの早期スタート:卓球選手としてのキャリアを早くスタートさせることで、より多くの経験と実績を積むことができます。

このように、早田ひな選手は大学進学よりもプロ選手としてのキャリアを選択し、卓球に専念する道を選んだのです。

早田ひなのプロでの経歴

早田ひな選手の卓球に関する経歴を見ていきたいと思います。

日本生命レッドエルフでの経歴

早田ひな画像引用元:THE ANSWER

早田ひな選手は2018年、高校卒業後に日本生命レッドエルフに入団しました。

以来、チームの主力選手として活躍を続けています。

Tリーグでの活躍は目覚ましく、2018-2019シーズンのTリーグ初年度から主力選手として活躍。

2019-2020シーズンにはチームの優勝に貢献し、2020-2021シーズンと2021-2022シーズンには2年連続でシーズンMVPを獲得しました。

チーム内では、シングルスやダブルスで重要な試合を任されるなど、中心選手としての役割を果たしています。

日本生命レッドエルフでの経験を通じて、早田ひな選手は世界トップレベルの選手へと成長を遂げました。

また、日本生命レッドエルフに所属しながら、日本代表として世界選手権やオリンピックなどの国際大会でも活躍。

チームの強さと日本卓球界の発展に重要な役割を果たしています。

パリオリンピックでの成績

早田ひな画像引用元:テレ東卓球NEWS

2024年パリオリンピックで、早田ひな選手は卓球女子シングルスで銅メダル、団体で銀メダルを獲得しました。

シングルスでは、準決勝で世界ランキング1位の孫穎莎選手に敗れたものの、3位決定戦では韓国のシン・ユビン選手を4-2で下し、見事銅メダルを手にしました。

注目すべきは、早田ひな選手が左腕の痛みを抱えながら試合に臨んだことです。

試合開始の5分前まで2割から3割ほどの力しか出せない状態だったそうですが、試合直前に注射を打って出場。「後悔しないように、どんな結果になっても最後までやり続ける気持ちで、1ゲーム1ゲームを戦いました」と語っており、その強い精神力が伺えます。

団体戦では、チームメイトの平野美宇選手、張本美和選手とともに銀メダルを獲得。

リザーブの木原美悠選手も含めた4人で勝ち取ったメダルだと語っており、チームワークの大切さを強調しています。

主な成績

早田ひな選手の主な成績は以下の通りです。

  • 2019年世界選手権ブダペスト大会:女子ダブルスで銀メダル獲得(伊藤美誠とのペア)
  • 2020年全日本選手権:女子シングルスで初優勝
  • 2023年世界選手権ドーハ大会:女子シングルスで銅メダル獲得(日本勢44年ぶり)
  • 2023年アジア競技大会:女子シングルスで銀メダル、女子団体で銀メダル獲得
  • 2024年パリオリンピック:女子シングルスで銅メダル、女子団体で銀メダル獲得
  • 2024年全日本卓球選手権大会:シングルス、ダブルス、混合ダブルスの全てで優勝

これらの成績から、早田選手が国内外の大会で優れた実績を残し、日本卓球界のトップ選手として活躍していることがわかります。

特に、2023年世界選手権での女子シングルス銅メダル獲得は、日本勢44年ぶりの快挙として注目を集めました。

また、世界ランキングでもシングルス最高4位、ダブルス最高1位を記録しており、世界トップレベルの選手としての地位を確立しています。

早田ひなのパリオリンピックの成績に世間の反応は?

早田ひな選手のパリオリンピックでの活躍に対して、世間からは多くの称賛の声が上がりました。

特に、左腕の痛みを抱えながらも最後まで諦めずに戦い抜いた姿勢に多くの人が感動したようです。SNSでは「読んで涙が出てきました」「ひなちゃんほんとに心優しいし強いし同じ女性として憧れで大好きです」といったコメントが寄せられました。

また、リザーブの木原美悠選手への気遣いも話題となりました。早田ひな選手は木原選手への感謝の気持ちを長文のメッセージで表現し、「リザーブという1番難しい立場を最後まで明るく楽しそうにやりきっててすごいなと思いました」と述べています。

この行動に対して「人間性が素晴らしい」「いろんな人の痛みや気持ちがわかる早田さんの人間性がすばらしいなと感じたパリ五輪でした」といった声が上がりました。

さらに、早田ひな選手の出身地である北九州市では、パブリック・ビューイングが行われ、約150人の市民が集まって声援を送りました。

地元の人々も早田ひな選手の活躍を喜び、誇りに思う様子が伝えられています。

まとめ

以上が、早田ひな選手の学歴と経歴、そしてパリオリンピックでの活躍について紹介しました。最後に簡単にまとめたいと思います。

  • 小学校時代から卓球に熱心に取り組み、全国大会出場を果たす
  • 中学時代に成長期のスランプを経験するも、それを乗り越えて技術を向上
  • 高校時代は卓球に専念できる環境で過ごし、プロとしての基礎を固める
  • 大学進学せずにプロの道を選択し、日本生命レッドエルフで活躍
  • パリオリンピックでは左腕の痛みを抱えながらも銅メダルと銀メダルを獲得
  • チームメイトへの感謝と気遣いの姿勢が多くの人々の心を動かす

早田ひな選手は、幼少期から卓球に打ち込み、着実に実力を伸ばしてきました。

高校卒業後はプロとして活動し、世界トップレベルの選手へと成長。パリオリンピックでの活躍は、彼女の努力と才能、そして強い精神力の賜物と言えるでしょう。

今後も日本のエースとして活躍する早田ひな選手から目が離せませんね!