長谷部誠の年俸はいくら?今季限りで現役引退!これまでの所属クラブでの年俸推移は?

長谷部誠 年俸

「日本代表史上最高のキャプテン」と呼ばれ、日本サッカー界を牽引してきた長谷部誠選手が、今季限りで現役を引退しました。

これまで渡り歩いてきた4つのクラブチームでは、監督が求める戦術に応じて、自分のプレースタイルを適応させるという、類まれなる戦術理解能力を発揮。安定感のあるプレーで、各クラブでの信頼を勝ち取ってきました。

そこで、18歳でのJリーグデビューから40歳を迎えた今季まで、長谷部誠選手の年俸が、どのように推移していったのか気になる方も多いのではないでしょうか。

この記事では、サッカーファンが気になる、長谷部誠選手の年俸推移を紹介していきます。

各クラブでの活躍とともに振り返っていくので、ぜひ最後まで読んでみてください。

長谷部誠選手が現役引退を発表

2024年4月17日。ドイツ1部リーグ、フランクフルトに所属する長谷部誠選手は、現地で開かれた記者会見で、今季限りでの現役引退を発表しました。

類まれなリーダーシップや優れた戦術理解能力に加え、語学学習能力、コミュニケーション能力の高さを発揮してきた長谷部誠選手は、22年に及ぶ現役生活にピリオドを打ちます。

引退会見後のSNSでは、日本のファンに向けたメッセージを動画で配信してくれています。

「今日、記者会見で発表した通り、今シーズンで現役生活を終えることを決めました。長い現役生活でしたけど、振り返るのはちょっとまだ早いんで。まだ1ヶ月くらいシーズンがあるんで、しっかりやりきって、またゆっくり振り返りたいなと思います。今はまだ皆さんにありがとうとは言いませんが、最後まで頑張ります!」

引用:フランクフルトX

また、ザッケローニ元日本代表監督からは、思いのこもったメッセージが発表されています。

これまで長谷部誠選手と関わってきたすべての監督が、ザッケローニ氏と同様の思いを抱いているのではないでしょうか。

「長谷部は私にとって“完璧なキャプテン”です。彼の豊かな人間性、優雅な立ち居振る舞い、常に正しい判断力は、まさにリーダーたるもので、30年間にわたる私の監督のキャリアの中でも比類なきものでした。彼と一緒に仕事をすれば、私のメッセージは正確に適切な形で選手たちに伝えられ、チーム内でのコミュニケーションが建設的なものになりました」
引用:SOCCERKING

長谷部誠選手は、引退後、指導者の道に進むことを希望しており、しばらくはドイツでの生活が続くようです。

いつの日か、監督として日本代表に戻ってくることを期待したいですね。

【2024年】長谷部誠選手の年俸は?

2024年、長谷部誠選手の年俸は約2億円と言われています

2022年にフランクフルトと結んだ「年俸2億円の5年契約」は、クラブ引退後のコーチングスタッフとしての契約を含めた内容となっています。30代後半を迎える選手に対する契約条件としては、破格の金額といえるでしょう。

ちなみに、40歳を迎えた長谷部誠選手の市場価値は、世界中の40代以上の中で5位となる、50万ユーロ(約8000万円)となっています。まさに、サッカー界のレジェンドと呼ばれるにふさわしい評価ですね。

長谷部誠選手の各クラブでの年俸額は?

長谷部誠選手は、2022年に藤枝東高校から浦和レッズに入団します。

浦和レッズでは、7シーズンで、公式戦通算215試合に出場。24ゴール17アシストという結果を残し、海外へ活躍の場を移しました。

その後は、ヴォルフスブルク、ニュルンベルグ、フランクフルトの3クラブを渡り歩きます。

ここでは、各クラブで高い評価と信頼を勝ち取ってきた長谷部誠選手の年俸推移を、これまでの活躍とともに紹介していきます。

浦和レッズ

長谷部誠画像引用元:Instagram

2002年に藤枝東高校から入団し、6年間プレーした浦和レッズでの年俸推移は以下の通りです。

シーズン 年俸
2002年 370万円
2003年 400万円
2004年 1,000万円
2005年 1,500万円
2006年 2,500万円
2007年 3,600万円

浦和レッズ時代の長谷部誠選手は、繊細なボールタッチとパスセンスを活かし、トップ下や、ボランチとして活躍しました。

入団1年目の公式戦出場は、わずか1試合にとどまったものの、2シーズン目には出場機会が増え、レギュラーの座を獲得しています。

当時の浦和レッズには、小野伸二や、鈴木啓太、エメルソン、ワシントンなど、そうそうたるメンバーが所属。その中でレギュラーを勝ち取った長谷部誠選手は、浦和レッズの「黄金時代」を築いていくのです。

その後も、中盤の主軸として活躍を続けた長谷部誠選手は、2006年のJ1リーグ制覇や、2007年のAFCチャンピオンズリーグ優勝など、数々のタイトル獲得に貢献。
入団当初370万円だった年俸は、5年間で約10倍に増額しています。

浦和レッズでは、公式戦215試合に出場。24ゴール17アシストという結果を残し、ドイツヴォルフスブルクへ移籍しました。

ヴォルフスブルク

長谷部誠画像引用元:Instagram

ブンデスリーガ制覇を成し遂げた、ヴォルフスブルクでの年俸推移は以下の通りです。

シーズン 年俸
2008-2009年 8,000万円
2009-2010年 9,000万円
2010-2011年 1億円
2011-2012年 1億2,00万円
2012-2013年 2億円

2008年1月、「完全移籍」でブンデスリーガのヴォルフスブルクに移籍した長谷部誠選手の年棒は、浦和時代の2倍を超える8000万円に大幅に増額されました。

浦和時代は、司令塔やボランチとして活躍を続けてきましたが、ヴォルフスブルクでは、右サイドバックや、センターバックとして起用されることが多くなります。

自身が希望するポジションではなかったものの、「自分の強みよりも、チームで生き残ることしか考えなかった」と語った長谷部誠選手は、欧州仕様のフィジカルと、対人プレーの強さを身につけます。

ユーティリティープレーヤーに進化した長谷部誠選手は、2008-2009年シーズン、ヴォルフスブルク史上初となるブンデスリーガ制覇の原動力となりました。

当時の指揮官で、“鬼軍曹”の異名で知られるフェリックス・マガト監督からは、プレーだけでなく、語学学習能力の高さや、コミュニケーション能力の高さも評価されてました。

そして、監督やクラブからの信頼を勝ち取った2012-2013年の年俸は、2億円に到達します。

しかし、ボランチでのプレーを希望した長谷部誠選手は、中盤のポジションの補強を急務としていたニュルンベルクへ移籍を決断するのです。

 ニュルンベルク

長谷部誠画像引用元:Instagram

怪我に苦しんだニュルンベルクの年俸は以下の通りです。

シーズン 年俸
2013-2014年 3億円

ニュルンベルクとは、3年契約を結び、年俸は3億円。ヴォルフスブルクよりも増額された金額に、長谷部誠選手に対する期待の高さがうかがえます。

クラブの救世主として期待が大きかった長谷部誠選手ですが、合宿中の怪我により、2014年の1月と2月に、2度の膝の手術を受けることとなります。

最終的には、リーグ戦わずか15試合の出場にとどまり、チームは2部へ降格

期待に応えられなかったという思いから、移籍か残留かを深く悩んだ末、サッカー選手としての決断をした長谷部誠選手は、フランクフルトへの移籍を決断します。

「チームに残るべきか移籍をするのか、サッカー選手としての決断をするか1人の人間としての決断をするのかでかなりの間悩みましたが、最終的にはサッカー選手としての決断を選びました」

引用:SOCCERKING

フランクフルト

年俸のキャリアハイを達成した、フランクフルトでの年俸推移は以下の通りです。

シーズン 年俸
2014-2015年 5億2,000万円
2015-2016年 5億4,000万円
2016-2017年 5億5,000万円
2017-2018年 5億8,000万円
2018-2022年 6億円
2022-2024年 2億円

フランクフルトに移籍した2014年は、シーズン開幕からボランチとして活躍を続け、ブンデスリーガ移籍後、最多となる33試合に出場します。

2018-2019年シーズンには、ドイツのサッカー誌「kicker」で、ベストイレブンに選出。さらに、欧州サッカー連盟が選ぶヨーロッパリーグ最優秀選手にも選出されました。

一般的に、サッカー選手の市場価値は28-29歳をピークとし、それ以降は下降していくとされています。しかし、30歳でフランクフルトに移籍した長谷部誠選手の年俸は、キャリアハイを迎える2018-2022年シーズンまで増加し続けているのは驚きです。

その後は、3バックの中央「リベロ」を主戦場とし、出場を重ねた長谷部誠選手は、20020-2021シーズンには副キャプテンに任命され、試合ではゲームキャプテンを務めることもありました。

2022-2023年シーズン以降は年俸が大きく下がりますが、37歳を迎える選手と結ばれた「 年俸2億円 5年契約」の条件は、異例の契約内容といえるでしょう。

長谷部誠選手の引退に世間の反応は?

長谷部誠引用:Number Web

長谷部誠選手の突然の引退会見をうけ、世間の反応はどうだったのでしょうか。

SNS上での反応を見ていきましょう。

やはり、「ありがとう!」「お疲れ様でした!」といった、感謝や労いの言葉が多くありますね。

また、将来の日本代表監督を期待する声も多く、長谷部誠選手の「リーダーシップ」や「人間性」が、ファンの心に深く刻まれていることがわかります。

まだ、引退を発表したばかりですが、サッカーファンの中では、すでに今後の活躍に期待が高まっているようです。

長谷部誠選手のプロフィール

長谷部誠画像引用元:長谷部誠オフィシャルサイト 

長谷部誠選手のプロフィールを、これまでの戦歴とともに見ていきましょう。

  • 名前:長谷部 誠(ハセべ マコト)
  • 生年月日:1984年1月18日
  • 年齢:40歳(2024年時点)
  • 身長:180cm
  • 体重:73kg
  • 血液検査:O型
  • 出身地:静岡県藤枝市
  • 出身高校:藤枝東高等学校(静岡県)
  • 所属チーム:アイントラハト・フランクフルト(ドイツ)
  • ポジション:ディフェンダー/ミッドフィルダー

高い戦術理解力を活かし、さまざまな監督の戦術に適応してきた長谷部誠選手は、抜群の安定感でキャリアを積み重ねてきました。

ブンデスリーガでの試合数は383試合に達し、外国人選手として歴代3位の記録となりました。もちろん、アジア人選手としては、歴代1位の記録です。

日本代表としては、歴代7位となる、国際Aマッチ通算114試合出場を記録。

2010年のW杯南アフリカ大会から、代表を引退する2018年ロシア大会までの約8年間は、類まれなリーダーシップで、「日本のキャプテン」を務めてきました。

まとめ

今季限りでの現役を引退した、長谷部誠選手の年俸推移について紹介してきました。

今回の記事のまとめはこちらです

  • 2024年4月、今季限りでの現役引退を発表
  • 今後は指導者の道へ進む
  • 2024年の年俸は2億円
  • 浦和レッズ入団時の年俸は370万円
  • 年俸のキャリアハイは、2018-2022年シーズンの6億円

また、長谷部誠選手の引退には、感謝の声や労いの声がたくさん寄せられていて、監督やチームメイト、チームスタッフ、ファン、誰からも愛された人柄だということがわかります。

これから、指導者として新たな目標に向かってチャレンジしていく長谷部誠選手にも、注目していきましょう。