サッカー日本代表DF橋岡大樹選手と、陸上競技走幅跳びでオリンピックに出場した橋岡優輝選手は、トップアスリートとしての道を歩むいとこ同士です。
幼少期には同じ陸上大会に出場するなど、お互いを刺激し合いながら成長を続けてきました。
橋岡大樹選手は「優輝の存在が自分にとって大きな刺激になっている」と語っており、二人の絆は競技の枠を超えて深い信頼関係を築いています。
また、橋岡家は“アスリート一族”としても知られているため、以前から橋岡大樹選手の家系が気になっていたという方も少なくないでしょう。
そこで今回は、橋岡大樹選手と橋岡優輝選手の家族構成に焦点を当て、アスリートとしての成長を支えてきた家族とのエピソードを紹介していきます。
スポーツファン必見の内容となっていますので、最後まで楽しみながら読んでみてください。
Contents
橋岡大樹と橋岡優輝はいとこ
【番組プレゼント】#浦和レッズ の #橋岡大樹 選手と
陸上の走幅跳の日本代表🇯🇵#橋岡優輝 選手のサインが入った
浦和レッズのユニフォームを👕#スパサカ のTwitterを
フォロー&リツイート
してくれた方から
抽選で1名様にプレゼント🎁
〆切は11月23日(土)24時
当選者には直接連絡させて頂きます! pic.twitter.com/uDAUcPcRL0— TBS KICK OFF! J【公式】 (@TBS_SuperSoccer) November 18, 2019
橋岡大樹選手と橋岡優輝選手は、父親同士が兄弟で、大樹選手の父が弟、優輝選手の父が兄という「いとこ関係」にあります。
ふたりとも1999年生まれですが、橋岡優輝選手は早生まれのため、橋岡大樹選手の1学年上という間柄。同じ埼玉県出身で、小さい頃から兄弟のように育ちました。
小学生の頃には二人で同じ陸上大会に出場した経験もあります。当時は橋岡大樹選手のほうが足が速く、橋岡優輝選手を上回る結果を残していたようです。
橋岡大樹選手は幼少期を振り返り、互いをライバル視したことはなかったと言います。
一方の橋岡優輝選手は「(大樹に)負けると悔しかった」と思っていたようで、当時の気持ちを朝日新聞デジタルのYouTubeチャンネルで打ち明けています。
その後、二人はサッカーと陸上競技という別々の道を歩むようになりましたが、どちらも東京オリンピックへの出場を果たすという偉業を達成しています。
同じ陸上競技で競っていた幼少期とは違い、別々の競技だからこそ互いのフィールドが気になる。橋岡大樹選手は、陸上の舞台で世界と戦う橋岡優輝選手の存在がつねに刺激になっていたようです。
「優輝が世間から注目されていて、自分も、という思い。優輝より注目されるようにならないと」
引用:日刊スポーツ
幼い頃から互いを刺激し合い、切磋琢磨してきた“いとこ”の存在は、橋岡大樹選手のサッカー人生にとって大きな支えになったことでしょう。
橋岡大樹の基本情報
この投稿をInstagramで見る
サッカー日本代表DF橋岡大樹選手の基本情報を見ていきましょう。
- プロフィール
- 経歴
- 家族構成
橋岡大樹選手のサッカーキャリアを支えてきた、両親の教育モットーにも注目です。
プロフィール
この投稿をInstagramで見る
橋岡大樹選手のプロフィールは以下の通りです。
|
経歴
この投稿をInstagramで見る
1999年、埼玉県浦和市で生まれ、浦和レッズのアカデミーで育ちました。
2017年に2種登録選手としてJリーグ杯でデビューを果たすと、同年11月にトップチームへの昇格が発表されます。
2018年シーズン第7節のヴィッセル神戸戦でJ1リーグデビュー。第29節のベガルタ仙台戦で初ゴールを決めると、プロ1年目ながらレギュラーとして公式戦34試合に出場しました。
2019年シーズンは怪我の影響もあり18試合の出場にとどまるものの、EAFE E-1サッカー選手権2019に出場する日本代表に初選出され、12月10日の中国戦でA代表初出場を果たします。
2020年シーズンは31試合に出場すると、2021年1月31日にシント=トロイデンVVへの期限付き移籍を発表。同年12月には、レンタル元の浦和レッズからの完全移籍が決まりました。
2022−2023年シーズンはリーグ戦32試合出場4アシストを記録。翌2023−2024年シーズンは移籍後初ゴールを決めるなど18試合に出場し、2024年1月にプレミアリーグ所属のルートン・タウンFCへ完全移籍での加入が発表されます。
2024年3月2日、プレミアリーグ第27節のアストン・ヴィラFC戦で途中出場し、日本人歴代13人目となるプレミアリーグデビューを果たすも、チームは2部へ降格。
2024−2025年シーズンは、チャンピオンシップ(イングランド2部)での新シーズンをスタートさせています。
家族構成
橋岡大樹選手の家族構成は以下の通りです。
- 父親:橋岡和正(はしおか かずまさ)
- 母親:橋岡深雪(はしおか みゆき)
- 長男:橋岡和樹(はしおか かずき)
- 次男:橋岡大樹(本人)
橋岡大樹選手の家族は、両親と兄1人の4人家族です。
橋岡大樹選手は、小学生の頃に3歳年上の兄・和樹さんの影響でサッカーを始め、中学生になると浦和レッズアカデミーに入団します。
画像引用元:JFA
両親の教育ポリシーは「親は下手に口出ししない」こと。
父親の和正さんは野球、母親の深雪さんは陸上競技と、スポーツ経験者の二人だからこそ、本人の意思を尊重したスポーツ教育を心がけていたようです。
親があれこれ言うと子どもはそれが正しいと信じてしまうし、特にスポーツを教えて親の言うことが正しいと認識すると、コーチや他の人の言うことを聞かなくなってしまうんじゃないかと思っていました。親は下手に口出しをしない、というのが夫婦のポリシーでしたね。(母・深雪さん)
引用:JFA
両親が唯一指導したのは「走り方のアドバイス」。
陸上短距離で中学日本一を経験している母・深雪さんは、ランニング姿勢や、加速するための足の出し方など、具体的な指導をしたようです。
「小学生時代に地元の陸上大会に出る時、スタートの姿勢は低くいって、斜め外側にポンポンと足を出して加速するとか、走り方を教わった。今でも意識して走っています」
引用:スポーツ報知
また、浦和レッズアカデミー時代「食事面などで特にフォローしていなかった」と話す母・深雪さんですが、橋岡大樹選手は幼少期から自身のサッカーキャリアを支えてくれた母親に感謝のメッセージを寄せています。
「子供の頃からサッカーの練習から帰ると洗濯物を出して、温かいごはんを食べて、風呂に入って寝られる環境を作ってくれた。今年から一人暮らしを始めて、それは当たり前のことではないんだと改めて感じた。困ったことがあれば母にも父にも相談できるし、ものすごく支えになっている」
引用:スポーツ報知
スポーツ経験者の両親によるあたたかいサポートは、橋岡大樹選手のサッカーキャリアに大きな影響を与えてきたことに間違いありません。
橋岡優輝の基本情報
この投稿をInstagramで見る
続いて、2大会連続でオリンピックに出場した橋岡優輝選手の基本情報を見ていきましょう。
- プロフィール
- 経歴
- 家族構成
「息子の意思を尊重する」という教育方針を掲げる、両親とのエピソードにも注目です。
プロフィール
この投稿をInstagramで見る
橋岡優輝選手のプロフィールは以下の通りです。
|
経歴
この投稿をInstagramで見る
元陸上競技選手の両親のもと、1999年埼玉県浦和市で生まれました。
さいたま市立岸中学校で陸上を始め、中学3年生の時には全国中学体育大会の4種競技で3位の成績をおさめています。
私立八王子学園八王子高校で走り幅跳びに転向すると、高校生歴代10位の記録となる7m70の好記録を出し一躍脚光を浴びました。
日本大学進学後は、日本選手権で3連覇。さらに、2019年の世界陸上ドーハ大会で8位となり、日本人初の入賞を果たします。
2021年の日本選手権で自己最長、歴代2位となる8m36を記録。
同年に開催された東京オリンピックに出場すると、陸上競技男子走り幅跳びで日本人として37年ぶりとなる6位入賞を果たしました。
2024年に出場したアメリカの競技会「Hurricane Invitational」で、パリオリンピックの参加標準記録(8m27)を突破。
2大会連続でのオリンピック出場を決めるも、同年に開催されたパリオリンピックでは、本来の力を発揮できず、予選17位で決勝進出を逃しています。
家族構成
橋岡優輝選手の家族構成は以下の通りです。
- 父親:橋岡利行(はしおか としゆき)
- 母親:橋岡直美(はしおか なおみ)
- 長男:橋岡優輝(本人)
橋岡優輝選手の家族は、両親と本人の3人家族です。
元陸上選手という両親のもと、一人っ子として育った橋岡優輝選手。
両親の教育方針は「子供の人生に何か押し付けることはしない」ということ。
橋岡優輝選手は、両親から「陸上をやれ」と言われたことは一度もありませんでした。
「私たちがやりたくてやってきた競技で、優輝には何にも関係ないですしね」(母・直美さん)
引用:朝日新聞
橋岡優輝選手は、両親が現役時代にどんな選手だったのか知ったのは陸上部に入ってからだったそうで、陸上を始めた理由に両親の影響はまったくなかったと言います。
「正直な話をすると、野球やサッカーの少年団に入ろうかなと考えたことはあるんです。でも、どのスポーツにしても土日に試合があるじゃないですか。土日にも活動があると、遊ぶ時間がなくなってしまう。友だちと遊びたいという気持ちが先行していました(苦笑)」
引用:GROWING
また、橋岡優輝選手が陸上を始めた後も、両親が具体的な指導をしてくることはほとんどなく、中学・高校・大学の顧問の先生やコーチにすべてを委ねていたそうです。
両親は元競技者の立場として、橋岡優輝選手のよき相談役に徹していたと思われます。
画像引用元:Getsuriku
息子の人生を尊重してくれる両親のもと、のびのびと陸上競技に向き合ってこれたことは、橋岡優輝選手の陸上人生にとって、大きな心の支えになったのではないでしょうか。
橋岡大樹と橋岡優輝はアスリート一族
この投稿をInstagramで見る
いわゆる“アスリート一族”という環境で生まれ育った橋岡大樹選手と橋岡優輝選手。
以下は、橋岡大樹選手を中心とした、橋岡家の家系一覧表になります。
続柄 | 名前 | 競技 | 主な経歴 |
父 | 橋岡和正 | 野球 |
|
母 | 橋岡深雪
(旧姓:笹川) |
陸上(短距離) |
|
兄 | 橋岡和樹 | サッカー |
|
従兄弟 | 橋岡優輝 | 陸上(走り幅跳び) |
|
叔父 | 橋岡利行 | 陸上(棒高跳び) |
|
叔母 | 橋岡直美
(旧姓:城島) |
陸上(三段跳び、100mハードル) |
|
橋岡大樹選手の父親・和正さんは、元高校球児です。甲子園出場経験はないものの、強豪大宮東高校のエースとして活躍し、プロ野球のドラフト候補にも名を連ねていました。
母親の深雪さんは、かつて陸上競技の短距離選手でした。全国中学陸上競技選手権大会200mで優勝した経験があります。
橋岡大樹選手がサッカーを始めるきっかけを作った兄・和樹さんは、弟と同じく浦和レッズの下部組織で育ち、今も現役のサッカー選手(エリース東京FC)として活躍しています。
この投稿をInstagramで見る
橋岡大樹選手の叔父にあたる利行さんは、陸上棒高跳びの元日本記録保持者。1980年代から1990年代にかけての日本選手権において優勝7回の成績をおさめています。
叔母・直美さんも陸上100mハードル、三段跳びの元日本記録保持者。全国高校総体3連覇や、日本選手権優勝などの輝かしい記録を残しました。
また、こちらの一覧表以外にも、橋岡優輝選手の母方の叔父にはシドニーオリンピック男子走り幅跳び代表の渡邉大輔さん。
叔母には、100mハードルのU20アジアチャンピオンの城島良子さんがいます。
橋岡優輝(日大)ファミリー・トーク(『月刊陸上競技』2018年9月号誌面転載記事)https://t.co/rLND9JhrxE
陸上界に二世アスリートは何人も誕生しているが、日本選手権の男子走幅跳で19歳ながら2連覇を達成した橋岡優輝(日大)の家族は、そのキャリアがとりわけ豪華だ。 pic.twitter.com/JYd68m9lge— 月陸Online/月刊陸上競技 (@Getsuriku) August 10, 2018
このように、家族全員がトップアスリートとして活躍している橋岡家は、まさにスポーツ界を代表する“アスリート一族”と言っても過言ではありません。
まとめ
今回は、橋岡大樹選手と橋岡優輝選手との “いとこ関係”を深掘りしながら、“アスリート一族”といわれる橋岡家の家族構成と、家族とのエピソードを紹介してきました。
この記事のまとめは以下の通りです。
- 橋岡大樹選手と橋岡優輝選手はいとこ:父親同士が兄弟という「いとこ関係」
- 橋岡大樹選手の家族構成:父親、母親、長男、次男(本人)の4人家族
- 橋岡優輝選手の家族構成:父親、母親、長男(本人)の3人家族
- 橋岡家はアスリート一族:橋岡大樹(プロサッカー選手)/ 父・和正(高校野球ドラフト候補)/ 母・深雪(陸上短距離選手)/ 兄・和樹(プロサッカー選手)/ いとこ・優輝(陸上走幅跳びオリンピアン)/ 叔父・利行(陸上棒高跳び元日本記録保持者)/ 叔母・直美(陸上三段跳び、100mハードル元日本記録保持者)
サッカー日本代表DF橋岡大樹選手と、陸上走幅跳びオリンピアンの橋岡優輝選手は、“アスリート一族”と言われる家庭環境のなかで、互いの存在を高め合ってきました。
トップアスリートのDNAを受け継ぐ橋岡大樹選手、橋岡優輝選手の活躍は、今後もスポーツ界の注目を集め続けるでしょう。