オランダ1部・フェイエノールトに所属する上田綺世選手は、優れた得点能力を武器に活躍する“万能型ストライカー”です。
現在、日本代表のエースストライカーとして活躍している上田綺世選手ですが、中学生時代には、鹿島アントラーズユースへの昇格が叶わず、大きな挫折を経験しています。
そして、この困難な時期を支えたのは家族の存在でした。
そこで今回は、上田綺世選手の成長を支えてきた、家族の存在を深く掘り下げていきます。
彼が尊敬する父親とのエピソードも紹介していくので、ぜひ最後まで読んでみてください。
この記事を読むことで、上田綺世選手がどのように成長してきたのか、その道のりを詳しく知ることができるでしょう。
Contents
上田綺世の家族構成は姉1人の4人家族
画像引用元:上田綺世Instagram
上田綺世選手の家族構成は、両親と姉1人の4人家族です。
- 父親
- 母親
- 姉
- 本人
茨城県水戸市で育った上田綺世選手は、中学時代に鹿島アントラーズの育成組織「鹿島アントラーズノルテ」に加入します。
順調にユースチームでのキャリアを歩むかに思われたアカデミー時代ですが、思うように身長が伸びず、フィジカル・スピードともに不足していたことから、ユース昇格とはなりませんでした。
その後、鹿島学園高校、法政大学と進学した上田綺世選手は、大学2年生の時、ついにJ1鹿島アントラーズとの仮契約をつかみとります。
画像引用元:4years.
そして、鹿島アントラーズへの入団会見で上田綺世選手が口にしたのは、夢を全力でサポートしてくれた両親への感謝の思いでした。
「アントラーズは常に優勝を争うチーム。すぐに試合に出場できそうな場所よりも、僕は厳しい環境のほうが成長できると思いました。これまでも、もがいて、もがいて乗り越えてきましたから。そのほうがいいんです。ユースに昇格できなかった選手でも、はい上がってトップでやれるんだというのを証明したい。どんなときも、夢を全力で支えてきてくれた両親にも恩返ししないといけない」
引用:4years.
今や、鹿島アントラーズのエースストライカーから、日本代表のエースストライカーとなるまで成長を遂げた上田綺世選手。そのサッカーキャリアの原点には、家族の存在があったことに間違いなさそうです。
上田綺世の父親はどんな人?
画像引用元:Number Web
ここでは、上田綺世選手の父親について詳しく紹介していきます。
- 名前
- 職業
- 教育方針
父親と上田綺世選手とのエピソードとともに、それぞれを見ていきましょう。
父親:上田晃さん
上田綺世選手の父親の名前は、上田 晃(ウエダ アキラ)さんです。
父・晃さんは、社会人リーグでのサッカー経験があり、上田綺世選手がサッカーを始めるきっかけを作った存在です。
5歳の頃から父親とボールを蹴り始めた上田綺世選手は、サッカーに関して一切の妥協を許さない父の教えによってトッププレーヤーへの道を歩んでいくこととなります。
Jリーグ公式YouTubeチャンネルが「厳しい父への反骨心」と題した、上田綺世選手の成長物語を配信しているので、ぜひご覧になってみてください。
中学生時代には、鹿島アントラーズのユースに昇格できず、挫折を味わった上田綺世選手。
その困難を乗り越える強いメンタルを持つことができた背景には、父・晃さんの厳格な教育があったと言えるでしょう。
上田晃さんの職業はサッカーコーチ
父・晃さんは、上田綺世選手が幼少期に通った「吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団」でコーチをしていたようです。
幼少期の上田綺世選手は、スポーツ少年団での練習がない日は、父・晃さんとの練習に打ち込み、サッカーをしない日は、ほとんどなかったといいます。
鹿島アントラーズOB名良橋晃氏とのインタビュー動画では、父親と二人三脚でトレーニングしてきた幼少期のエピソードを語っているので、ぜひこちらもチェックしてみてください。
上田晃さんの教育方針は?
「見て勉強しろ」。これが上田世選手の父・晃さんの教育方針です。
上田綺世選手が幼少期の頃、少年団での練習や、父との自主練が終わった後は、いつも父・晃さんと一緒にサッカーの映像を見ていました。
欧州主要リーグや、ワールドカップ、ユーロといった、世界トップクラスの試合を見ながら、選手一人一人のプレーを分析していたようです。
上田綺世選手は、父・晃さんと交わしていたコミュニケーションを次のように話します。
「父がサッカーを見て勉強しろという感じで、『このシーンどう思う?』『何がすごい?』『この前のプルアウェイの動きがいい』っていうゴールまでの過程における具体的な話をしながら父と一緒に見られた。それがやっぱり良かったんじゃないかと思います」
引用:Sportsnavi
特に、中学生まで身長・体格に恵まれなかった上田綺世選手は、世界で活躍するトッププレーヤーのプレーを見ながら、“体の使い方”を身につけていったようです。
「試合を映像で見る・分析する・自分のプレーに置き換える」。この地道な積み重ねは、身長が伸び始めた高校生以降に身を結ぶこととなります。
「当たられたら負けるから判断早く動き出す。悔しい経験を重ねる中で、優れたストライカーたちの動き出しを映像から学んで実践してきた。その積み重ねが「スピードもパワーも負けなくなって、ようやく生きるようになった」
引用:SOCCER KING
強烈なミドルシュートや、打点の高いヘディング、巧みなワンタッチフィニッシュなど、上田綺世選手が持つ“多彩な得点パターン”は、父・晃さんの「見て勉強しろ」という教育方針から生まれたと言っても過言ではないでしょう。
上田綺世の母親はどんな人?
上田綺世選手の母親についての詳しい情報は公開されていませんが、P&Gの広告に、法政大学2年生の上田綺世選手と一緒に登場した女性が母親であると考えられています。
お名前は「上田敦子さん」である可能性が高いです。
【広告宣伝】
P&GのオフィシャルWEBサイト マイレピにて弊部所属の上田綺世(2年/鹿島学園高校出身)が掲載されています。尚、一部の電車内の広告にも登場しております。
詳しくはマイレピHPをご覧ください。https://t.co/y6DQAjau31 pic.twitter.com/Z3X0CaM6Ek
— 法政大学体育会サッカー部 (@HOSEI_FC) June 14, 2018
また、上田綺世選手が実家に帰ったときには、好物のメンチカツを、お皿いっぱいに作ってくれていたというエピソードがあります。
「何個かあるんですけど、まず1つは母親が作るメンチカツですね。高校で寮に入ってから、やっぱり親の作るごはんを食べる機会がなくなった。たまに実家に帰ったときに、僕が好きだったメンチカツを毎回作ってくれていたんですよ」
引用:Number Web
母親の職業に関しての詳細は不明ですが、専業主婦として上田綺世選手の食生活をサポートしていたと推測されます。
上田綺世の姉はどんな人?
上田綺世選手には、姉が一人いることがわかっています。
しかし、一般の方ということもあり、名前や顔写真、職業などの情報は一切ありません。
また、上田綺世選手がメディアなどで、姉とのエピソードを語ったこともなさそうです。
上田綺世選手が現在(2024年8月)26歳であることから、姉の年齢は27歳以上になるはずです。
上田綺世選手のInstagramでは、「家族」がベルギーまで応援にきてくれたとの投稿があることから、お姉さんも現地まで足を運んだのではないかと思われます。
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きっと、お姉さんの存在も、上田綺世選手の活躍を後押ししていることでしょう。
上田綺世がサッカーを始めたきっかけは?
画像引用元:ゲキサカ
上田綺世選手がサッカーを始めたのは、5歳の頃。
幼稚園年長のときに、地元の吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団に加入しました。
そのきっかけは、「社会人リーグでフォワードとしてプレーする父が試合でハットトリックを決め、自分も点を決めたいと思った」ことのようです。
「その試合で父がハットトリックしたんです。点を取って喜んでいる姿を見て、僕も嬉しかったし、僕も父を喜ばせるようなプレーをしたかった」
また、鹿島アントラーズ時代につけていた「背番号18番」は、父親の背中に憧れた上田綺世選手が、クラブに志願して着用していたと言います。
画像引用元:FREAKS+
僕がサッカーを始めたのは父の影響、というか、父に憧れて始めたんです。その父が趣味程度でやっていたサッカーですけど、18番をつけていて。その理由というのが西ドイツのクリンスマンが好きで、その番号をということで。僕がサッカーを始めたときから背番号もポジションもずっと父のマネをしていたので、それはプロに行っても変わらないんです」
引用:サッカーマガジンWeb
このエピソードからも、上田綺世選手が、いかに父親の存在をリスペクトしているのかが伝わってきます。
上田綺世のプロフィール
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上田綺世選手のプロフィールは以下の通りです。
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茨城県水戸市で生まれ、5歳の頃から地元の吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団に所属。
中学生時代は、鹿島アントラーズノルテ(鹿島アントラーズの下部組織)に在籍しましたが、体格が170cmと未熟だったためユース昇格とはなりませんでした。
その後、鹿島学園高校、法政大学へ進学。大学2年生のときに鹿島アントラーズへの加入内定を決めます。
鹿島アントラーズで3シーズンプレーした後、2022年7月にベルギー1部のサークル・ブルッヘに完全移籍。加入1年目から得点ランキング2位となる22ゴールを記録しました。
その活躍が認められ、クラブ史上最高額の移籍金でオランダ王者のフェイエノールトへの移籍をつかみ取ります。
2023-2024シーズンは5得点2アシストを記録し、来シーズンの飛躍が期待されています。
まとめ
今回は、上田綺世選手の成長を支えてきた家族の存在について深く掘り下げてきました。
この記事でのまとめは、以下の通りです。
- 家族構成:父親・母親・姉・本人の4人家族
- 父親:上田 晃(ウエダ アキラ)さん / 吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団でコーチを務める / 教育方針は「見て勉強しろ」
- 母親:上田 敦子さん(推測) / 職業などの情報はないが、専業主婦である可能性が高い
- 姉:一般人のため、名前や年齢、職業などの情報はない
- サッカーを始めたきっかけ:「社会人リーグでフォワードとしてプレーする父が試合でハットトリックを決め、自分も点を決めたいと思った」
家族の支えにより、日本代表のセンターフォワードになるまで成長を遂げた上田綺世選手。
特に、幼少期から二人三脚で歩んできた父親へのリスペクトの気持ちは、とても強いものがあるようです。
家族への感謝の気持ちがこもった上田綺世選手のプレーは、今後もサッカーファンを魅了していくでしょう。