上田綺世選手は、身長182cmの高さを生かしたヘディングや、ディフェンスの背後を狙う動きなど、多彩な攻撃のパターンを持ち、得点感覚に優れた本格派ストライカーとしての技術を持っています。
そんな彼は高校時代にどんな活躍をしていたのでしょうか?
この質問に答えるために、上田綺世選手の高校時代からプロへの軌跡を詳しく追い、彼がどのようにして今の舞台に立つまで成長を遂げたのかを解説します。
サッカーファンなら誰もが注目する才能の原点に迫ります。
■本記事で得られる内容
- 上田綺世選手のプロフィールと基本情報 – 身体的特徴や個人的背景について。
- 教育歴 – 小学校から大学までの学びの場とその影響。
- サッカーを始めたきっかけ – 彼がサッカーを始めた理由と初期の影響。
- プロ経歴 – 国内外のクラブでの成績と役割。
- 日本代表としての経歴 – 国際舞台での重要な試合と成果。
上田綺世選手がどのように成長し、トップレベルで活躍するに至ったのかを知ることで、あなた自身のサッカー理解が深まるでしょう。
記事を最後まで読み終えるころには、上田綺世選手の魅力とサッカーへの理解がさらに深まっているはずです。
Contents
上田綺世のプロフィール
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上田綺世選手は、1998年8月28日に茨城県水戸市で生まれました。彼の身長は182cm、体重は76kgです。
サッカー日本代表としても知られ、現在はオランダのエールディヴィジ・フェイエノールトに所属しています。
彼のポジションはフォワード、特にセンターフォワードやセカンドストライカーを務めることが多く、時にはミッドフィールダーとしてトップ下でプレーすることもあります。
名前 | 上田綺世 |
生年月日 | 1998年8月28日 |
出身地 | 茨城県水戸市 |
身長/体重 | 182cm/76kg |
ポジション | FW/MF |
所属チーム | フェイエノールト |
引用:Wikipedia
2022年2月9日には、モデルの由布菜月さんと結婚し、個人生活でも注目されています。
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上田綺世選手はInstagramにて、妻である由布菜月さんとの幸せな結婚生活の様子を頻繁に投稿しており、多くのファンから支持を受けています。
上田綺世の学歴
上田綺世選手は、水戸市立吉田小学校に通っていました。
その後、水戸市立第四中学校、鹿島学園高校と進学し、最終的には法政大学へと進学しています。
ここでは、それぞれの段階でのエピソードや特徴を詳しく見ていきます。
水戸市立吉田小学校
上田綺世選手は、水戸市立吉田小学校に通いながら吉田ケ丘サッカースポーツ少年団に所属していました。
小学校時代は、友達との楽しいサッカーゲームで多くの時間を過ごし、その中でサッカーの基本的な技術やスポーツマンシップを学んだことが、後の選手生活に大きな影響を与えました。
また上田綺世選手の父親は吉田ケ丘サッカースポーツ少年団の監督も務めていたため、親子でサッカーを通じて成長を遂げることができました。
水戸市立第四中学校
上田綺世選手は水戸市立第四中学校に進学後、鹿島アントラーズノルテジュニアユースでプレイを続け、サッカー技術を更に磨いていきました。
中学時代、体格の面で他の選手に劣っていたため、なかなか出場機会を得ることが難しい時期もありました。
彼がJ1鹿島アントラーズの下部組織であるユースチームへ昇格することができなかったとき、鹿島学園高等学校のサッカー部を指導していた鈴木雅人監督が彼を見出し、学校へと誘いました。
鈴木監督は中学時代から上田綺世選手を見守っており、彼の経歴を次のように振り返っています。
「得点を取る」という意識は、周囲の選手たちと比べるとはるかに高いものがありました。そのなかで動き出しの鋭さ、右足、左足、ヘディングといった多彩なシュートパターン、そして得点することに対する自分なりの形を持っていたことが印象的でしたね。
引用:REAL SPORTS
鹿島学園高校
画像引用元:ヤンサカ
鹿島学園高校に進学した上田綺世選手は、全国高校サッカー選手権に出場するなど、その才能を全国に知らしめることとなります。
鹿島学園高校では、サッカー部のエースとしてチームを牽引し、多くの試合で得点を重ねました。
「茨城に上田綺世あり」といわれ高校サッカー界ではそれなりに有名だったんだとか。
高校時代の上田綺世選手の活躍が見れる動画はこちら
上田綺世選手がサッカー部に加わると、鈴木監督は彼の得点能力を高めるために特別な指導を施しました。
現代サッカーでは全員が攻撃と守備に参加することが一般的ですが、鈴木監督は上田綺世選手に対して前線での守備をあえて軽視し、得点力の向上に重点を置きました。
これは大胆な戦略でした。彼は「右足、左足、頭を使ってどこからでも得点できるようになること」「積極的な動き出しをして、自らの得点パターンを確立すること」を強調し、上田綺世選手に得点の技術を磨くことに集中させました。
法政大学
画像引用元:ゲキサカ
高校を卒業した後、上田綺世選手はスポーツ推薦で法政大学へと進学しました。
大学では体育会サッカー部に所属し、1年生から試合に出場する機会を得ていました。
特に2年生の時には、全日本大学サッカー選手権大会でチームを優勝に導き、その才能を開花させました。
法政大学での3年間は、上田綺世選手にとって飛躍の期間でした。
唯一の大学生選手だった彼の得点能力は東京五輪世代の中でも際立っており、久保建英や前田大然、小川航基、岩崎悠人といった選手たちと肩を並べるほどの成績を収めています。
しかし、上田綺世選手はこれらの選手とは一線を画し、大学3年間で通算15得点という抜群の数字を残しました。
そして大学3年生の時に、体育会サッカー部を退部し、2021年に加入が内定していた鹿島アントラーズに前倒しで加入しました。
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ファンからはたくさんのいいねとコメントが寄せられています。
- あやせくんおめでとう!!
- 綾世くんが鹿島アントラーズ入るって聞いたのでファンクラブ入りました!応援してます!!がんばってください!!
- 頼むぞ鹿島を👍
鹿島アントラーズ加入後も大学は退学することなく卒業されており、法政大学在籍中には、9年ぶりに「大学生日本代表」として選出される栄誉を勝ち取りました。
このことからも、上田綺世選手の大学時代の活躍がいかに顕著だったかがうかがえます。
彼の大学での経歴は、プロへの大きなステップとなったのです。
上田綺世がサッカーをはじめたきっかけは?
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上田綺世選手がサッカーを始めたのは、わずか5歳の時でした。
このきっかけは、上田綺世選手の父親が社会人リーグの試合でハットトリックを決めたことにあります。
その試合を見ていた綺世少年は、「自分も点を取りたい」と強く思ったそうです。これが彼がサッカーを始める最初のステップとなりました。
家族の影響
上田綺世選手の父親は、かつて自身もフォワードとして活躍していたサッカー選手でした。
そのため、彼は自らがコーチとなり、上田綺世選手を指導しました。
上田綺世選手にとって、父親はただのコーチではなく、サッカーの理想を示す存在でもありました。
幼い頃から「お父さんに認められたい」という強い動機があり、それが彼のサッカーへの情熱をさらに強くしていたのです。
画像引用元:goo
上田綺世選手は父親の厳しい指導のもと、基本技術から戦術理解まで、幅広いスキルを身につけていきました。
練習の日々は厳しいものでしたが、それに耐え抜いたことで、彼の技術は格段に向上しました。
父親は試合ごとに上田綺世選手の成長を見守り、今では彼の最大のサポーターとなっています。
現在では、上田綺世選手は「お父さんに認められたい」という思いから一歩進んで、「お父さんのために頑張る」という使命感を持ってプレーしています。
このように、上田綺世選手がサッカーを始めたきっかけから大学に至るまでの経歴は、彼が現在の舞台に立つための重要な基盤を形成しています。
父親の影響を受け、家族との強い絆のもと、サッカーへの情熱と技術を磨き続けてきた彼の姿勢は、多くの若きサッカー選手にとっても大きな刺激となるでしょう。
上田綺世のプロ経歴
鹿島アントラーズ
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上田綺世選手は、法政大学のサッカー部を退部した後、2021年に鹿島アントラーズに加入しました。
プロデビューは2019年7月31日の浦和レッズ戦で、途中出場から記憶に残る初出場を飾りました。
プロ初ゴールは、同年8月10日の横浜F・マリノス戦で達成し、その後も安定した活躍を見せています。
特に、2020年7月18日の同じく横浜F・マリノス戦での2得点は、彼の才能を如実に示すものでした。
また、11月29日の浦和レッズ戦では3得点を決め、試合の勝利に大きく貢献しました。
サークル・ブルッヘ
画像引用元:soccer digest
2022年、上田綺世選手はベルギーのサークル・ブルッヘに完全移籍しました。
ベルギーでのデビュー戦は、7月24日のKVCウェステルロー戦で、先発出場して見事なスタートを切りました。
8月27日のSVズルテ・ワレヘム戦で移籍後初ゴールを決め、2023年2月4日のスタンダール・リエージュ戦でシーズン10得点目を記録するなど、ベルギーリーグでの活躍も目覚ましいものがあります。
フェイエノールト
画像引用元:Web sportiva
2023年にはオランダのフェイエノールトへ完全移籍し、クラブ史上最高の1000万ユーロ(約15億円)の移籍金で高い評価を受け、大きな期待を背負いました。
移籍初年度、9月3日のFCユトレヒト戦で初ゴールを決め、シーズン全体で5ゴールと2アシストを記録。
フェイエノールトでのポジション競争は厳しく、特にエースのサンティアゴ・ヒメネスとの争いが激しかったが、ヒメネスの離脱後は出場機会が増え、シーズン末には3試合連続でゴールを挙げる逆転劇を展開しました。
これらの経歴を通じて、上田綺世選手は国内外の多くのクラブで重要な役割を果たし、若い年齢からトップレベルのサッカーでの成功を納めています。
上田綺世の日本代表経歴
画像引用元:Number
上田綺世選手のサッカー日本代表としてのキャリアは、2019年からの急速な上昇により、国内外の注目を集めています。
彼の代表歴を追うことで、若手選手が国際舞台でどのように成長し、挑戦していくかの一例を知ることができます。
国際デビューとコパ・アメリカ2019
2019年5月24日、東京五輪世代を中心とした日本代表に選ばれ、翌月のコパ・アメリカ2019に臨みました。
この大会での上田綺世選手は、6月18日のチリ戦でスターティングメンバーとして登場し、見事なデビューを飾りました。
ただし、大会を通じてシュートが枠内に入らず、結果として多くのチャンスを生かし切れなかったとの評価もあります。
この経験が後の成長にどう影響したのかを見ていきましょう。
東京オリンピック2021とその影響
2021年、上田綺世選手は東京オリンピックのサッカー日本代表として選出されました。
オリンピックは彼にとって大きな舞台であり、国際的な経験を積む絶好の機会となりました。
チームは大会を通じて困難に直面しつつも、多くの若手選手がその場のプレッシャーの中で大きく成長したことが見受けられます。
東京オリンピックの準々決勝では、ニュージーランドとの試合はPK戦にもつれ込みました。
上田綺世選手はPK戦の最初のキッカーとして前に出て、冷静にゴールを決めました。
この勝利により、日本はスペインとの準決勝へと進むことができました。
PK戦の後、上田綺世選手は以下の様にコメントしています。
「次こそは、チームに勝利をもたらすゴールを奪うために僕の持っている力のすべてを使っていきたい」
引用:ゲキサカ
このシーンでは、上田綺世選手のリーダーシップと決断力が際立っています。
ワールドカップ2022と初ゴール
2022年11月、上田綺世選手はカタールワールドカップのメンバーとして選出され、大会第二戦のコスタリカ戦で先発出場しました。
さらに、2023年には、キリンチャレンジカップでのエルサルバドル戦で代表初ゴールを記録。
これは彼の代表キャリアにおいて重要なマイルストーンとなりました。
アジアカップ2024とハットトリックの記録
2024年、上田綺世選手はAFCアジアカップ2024に出場し、大会でチーム最多となる4ゴールを挙げる活躍を見せました。
特に、予選ラウンドのミャンマー戦ではハットトリックを達成し、その得点力が日本代表の攻撃力を支えました。
チームはベスト8で敗退しましたが、上田綺世選手の存在感は際立っていました。
ミャンマー戦はこちら
サッカーワールドカップ2026最終予選
2024年9月5日、埼玉スタジアム2002で開催されたFIFAワールドカップ26アジア最終予選のグループC初戦で、日本代表は中国代表と対戦しました。
この試合で日本は圧倒的な攻撃力を見せつけ、7-0で大勝し、8大会連続出場に向けて幸先の良いスタートを切りました。
さらに、9月10日のバーレーン戦では、アウェイゲームの厳しい環境下でも冷静さを保ち、レーザーポインターの妨害を乗り越えて先制のペナルティーキックを成功させるなど、上田綺世選手は勝利への重要な貢献をしました。
上田綺世選手の日本代表としての足跡は、彼の個々の技術だけでなく、チームとしての成熟を象徴するものです。
若手選手が国際舞台で如何に成長し、挑戦していくかを示す彼のキャリアからは、多くの示唆に富むエピソードが見つかるでしょう。
まとめ
いかがだったでしょうか?この記事では上田綺世選手の経歴について深く掘り下げていきました。
上田綺世選手は、父親を目指してサッカーを始め、今ではその夢を世界の舞台で実現しています。
ストライカーとしての自信とプライドを持ちつつ、地元茨城から始まった彼の足跡を振り返り、今後のさらなる飛躍に期待しましょう。以下に要点をまとめています。
- 父親の影響でサッカーを始め、鹿島学園高校で才能を開花。
- 法政大学卒業後、鹿島アントラーズでプロキャリアをスタート。
- 海外のクラブを経て、現在はフェイエノールトで主力選手。
- 日本代表としても中心選手として活躍が期待される。
これからも上田綺世選手の新たな挑戦を応援し、彼の成長を見守ることが楽しみです。
上田綺世選手のさらなる活躍を心から期待しています。