格闘技界で注目を集める武居由樹選手。
K-1世界王者からボクシングWBO世界バンタム級王者へと華麗な転身を遂げた彼の成功の陰には、2人の重要な人物の存在がありました。
それが、キックボクシングジム「POWER OF DREAM」の古川誠一会長と、大橋ボクシングジムの大橋秀行会長です。
幼少期から問題を抱えていた武居由樹選手を、2人の会長は我が子のように育て上げ、世界王者へと導きました。
格闘技の技術だけでなく、人としての成長も支え続けた2人の存在なくして、今日の武居由樹選手の活躍はなかったと言えるでしょう。
本記事では、武居由樹選手と2人のジム会長との深い絆について詳しく紹介していきます。
Contents
武居由樹の父親的存在とは?
画像引用元:スポーツ報知
幼い頃から複雑な家庭環境で育った武居由樹選手にとって、人生の転機となったのが2人のジム会長との出会いでした。
彼らとの出会いは、単なる指導者と選手の関係を超えた、深い絆を生み出すことになります。
武居由樹の家庭環境と父親像
武居由樹選手は父親不在の環境で育ち、母親は昼夜を問わず働きながら一人で息子を育ててきました。
しかし、寂しさや反抗心から、彼は次第に素行が悪化。母親の財布から金を盗むなどの行為を重ねるようになり、その総額は150万円にも及んだと言われています。
地域でも「問題児」として知られ、学校でも教師を困らせる存在でした。
同級生とのトラブルも絶えず、このままでは将来に大きな問題を抱えることが懸念される状況でした。
このような状況に母親は深く悩み苦しみ、最終的には親子心中まで考えるほどの追い詰められた状況に陥りました。
しかし、この危機的状況の中で、母親は最後の望みをかけて、ある決断を下すことになります。
それが、武居由樹選手を古川会長の元へ預けるという選択でした。この決断が、彼の人生を大きく変えることになりました。
父親代わりとされる2人のジム会長の存在
古川誠一会長との出会いは、武居由樹選手の人生における最大の転機となりました。
10歳の時に母親の決断により古川会長の元へ預けられた彼は、当初は反抗的な態度を示していましたが、古川会長の一貫した愛情のある厳しい指導により、次第に心を開いていきました。
キックボクシングの練習は厳しいものでしたが、それ以上に生活面での指導に重点が置かれました。
基本的な礼儀作法から、人としての在り方まで、古川会長は根気強く指導を続けました。
共同生活を通じて、他の生徒たちとの関わりの中で、武居由樹選手は少しずつ成長していきました。
その後、ボクシング転向時には大橋秀行会長が新たな父親的存在として加わります。
元世界チャンピオンとしての経験と、豊富な指導経験を持つ大橋会長は、武居由樹選手のボクシングの才能を見出し、プロボクサーとしての道を支えることとなりました。
武居由樹を支えた2人のジム会長
武居由樹選手の人生において、古川誠一会長と大橋秀行会長は単なる指導者以上の存在でした。
両会長は、それぞれの時期に異なる役割を果たしながら、彼の成長を支え続けています。
その献身的な指導と深い愛情は、武居由樹選手を世界チャンピオンへと導く原動力となりました。
武居由樹を育成した古川誠一会長
画像引用元:THE ANSWER
古川誠一会長は、1968年生まれの格闘技指導者です。
26歳という若さで「POWER OF DREAM」を設立し、問題を抱えた子供たちの更生支援と格闘技指導を行ってきました。
格闘技の経験がなかった古川会長が、なぜこのような道を選んだのか。
それは、彼自身が持つ「問題を抱えた子供たちを救いたい」という強い思いからでした。
古川会長の指導方針は非常にユニークです。
単なる格闘技の指導にとどまらず、生活指導に重点を置き、問題を抱えた子供たちを自宅に住まわせながら、共同生活を通じて更生を支援します。
この「家族的な環境」での指導が、多くの子供たちの心を開かせ、更生への道を導いてきました。
武居由樹選手を10歳で引き取った古川会長は、14年間にわたって自宅で生活を共にしながら、キックボクシングの技術と人としての在り方を教え続けました。
当初は反抗的だった武居由樹選手も、古川会長の一貫した指導により、次第に心を開いていきました。
特に印象的なのは、古川会長の「待つ」姿勢です。
問題行動が続いても、決して見放すことなく、粘り強く指導を続けました。
この姿勢が、武居由樹選手の心を動かし、真摯に格闘技と向き合うきっかけとなりました。
プロとしての飛躍を支えた大橋秀行会長
画像引用元:デイリー
大橋秀行会長は、1965年3月8日生まれの元プロボクサーです。
現役時代は「150年に1人の天才」と称され、WBCとWBA両方の世界ストロー級王座を獲得した実力者でした。
1994年の引退後は大橋ボクシングジムを設立し、その豊富な経験を活かして後進の育成に力を注いできました。
大橋会長の指導者としての真価は、多くの世界チャンピオンを育成してきた実績に表れています。
川嶋勝重選手(WBCスーパーフライ級)、八重樫東選手(WBAミニマム級・WBCフライ級)、井上尚弥選手(WBO世界スーパーバンタム級)など、錚々たる顔ぶれのチャンピオンを輩出してきました。
武居由樹選手との出会いは、テレビ番組「ザ・ノンフィクション」がきっかけでした。
当初は問題児のイメージを持っていた大橋会長でしたが、実際に会ってみると、その真摯な姿勢と限りない可能性に魅了されました。
「この選手なら必ず世界を取れる」。
そう確信した大橋会長は、武居由樹選手のボクシング転向を全面的に支援することを決意しました。
大橋会長の指導哲学は、以下の4つの要素を重視しています。
- 練習に対する真面目さ
- 素直な負けず嫌い
- 人の意見に耳を傾ける姿勢
- 地道な努力の継続
これらの要素は、武居由樹選手の性格と完全に合致していました。
大橋会長は、キックボクシングで培った武居由樹選手の身体能力とメンタルの強さを、ボクシングの技術に効果的に結びつけていきました。
武居由樹とジム会長たちとの絆
キックジム、パワーオブドリームの古川誠一会長とK1の55キロ世界王者決定トーナメントに出場する武居由樹選手にお話を伺う。フジのザ・ドキュメンタリーで同居生活が有名になったが、私は「内弟子と違うのか?」と質問。むしろアジアのスラムのような大家族と判明。終始笑いの絶えない対談でした。 pic.twitter.com/kzZkUooPLr
— 松原隆一郎 (@ryuimatsu) February 5, 2017
武居由樹選手と2人のジム会長との絆は、単なる師弟関係を超えた深い信頼関係へと発展しています。
両会長は今でも武居由樹選手の人生における重要な助言者であり、支援者であり続けています。
この強固な絆があるからこそ、武居由樹選手は常に進化を続け、新たな高みへと挑戦し続けることができているのです。
父親的存在としての指導スタイル
両会長の指導スタイルは、それぞれに特徴的でありながら、共通点も持っています。古川会長は生活を共にしながら、人間形成の基礎を築き上げました。
毎日の共同生活の中で、礼儀作法から生活習慣まで、細かな指導を行いました。特に重視したのは、「感謝の気持ち」と「他者への思いやり」です。
一方、大橋会長は、プロフェッショナルとしての心構えと技術の向上に重点を置きました。
世界チャンピオンとしての経験を活かし、試合での心理面のケアや、効果的なトレーニング方法の指導を行いました。
特に、ボクシングの基本技術の習得には多くの時間を費やし、キックボクシングとは異なる動きを丁寧に指導しました。
両会長に共通するのは、「選手を一人の人間として見る」という姿勢です。
単なる勝利の道具としてではなく、一人の人間としての成長を第一に考えた指導を行ってきました。
この姿勢が、武居由樹選手の心に深く響き、両会長への深い信頼を生み出すことになりました。
武居由樹が語る2人のジム会長への感謝
武居由樹選手は、様々な機会で両会長への感謝の気持ちを表現しています。
古川会長については、「本当のお父さん、お母さんのように接してくれている」と語り、現在でも週に数回は古川会長のもとを訪れて指導を受けています。
特に印象的なのは、試合後のインタビューでの言葉です。
「自分が今ここにいられるのは、古川会長のおかげです。問題児だった自分を見捨てずに育ててくれた恩は、一生かかっても返せません」と、涙ながらに語った場面は、多くの人々の心を打ちました。
大橋会長に対しては、「最高の舞台を用意していただき、ありがとうございます」という言葉とともに、「プロボクサーとしての在り方を教えていただいた」と深い感謝の念を示しています。
世界タイトルマッチ後のインタビューでは、両会長の名前を挙げて感謝の言葉を述べ、その様子からも両会長との深い絆を感じ取ることができました。
まとめ
武居由樹選手の成功は、二人のジム会長との出会いがなければ実現しなかったかもしれません。
10歳で出会った古川誠一会長は、問題児だった武居由樹選手を14年もの間、我が子のように育て上げ、人としての基礎を築きました。
そして大橋秀行会長は、その素質を見出し、プロボクサーとしての道を導き、世界チャンピオンへと押し上げました。
二人の会長は、それぞれの立場から武居由樹選手を支え、時に厳しく、時に優しく指導を続けてきました。
その献身的な努力と深い愛情は、武居由樹選手の心に深く刻まれ、今なお変わらぬ絆として続いています。
問題児から世界チャンピオンへ。この劇的な変身を可能にしたのは、間違いなく二人の父親的存在による導きがあったからこそです。
武居由樹選手の物語は、人は誰でも変われること、そして真摯な指導と愛情の力を証明する、感動的な実例として、多くの人々の心に響き続けることでしょう。