武居由樹選手は、キックボクシングとボクシングの両方で輝かしい実績を持つ、日本を代表する格闘家です。
しかし、彼の成功の裏には母親との深い絆と、厳しい生い立ちがありました。
幼少期、彼は母親の愛情を求めながらも反抗的な問題児として知られ、家庭環境に悩む日々を過ごします。
そんな彼の人生を大きく変えたのが、母親のある決断でした。
問題行動に手を焼いた母親は、息子をキックボクシングジムに預ける道を選択。そこから始まった厳しいトレーニングと心温まる支えが、武居由樹選手を更生へと導きました。
この記事では、母親との絆を中心に、武居由樹選手の生い立ちや挫折、そして格闘技を通じて掴んだ成功への軌跡を詳しく掘り下げていきます。
母親の愛情や、古川会長との師弟関係に支えられながら歩んだ彼の道のりを知ることで、「問題児」と呼ばれた少年がいかにして世界の頂点に立ったのか、その答えが見つかるはずです。
最後まで読めば、武居由樹選手の人生を変えた家族の絆や、格闘技への思いに触れることができるでしょう。
Contents
武居由樹の幼少期の生い立ち
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1996年7月12日、東京都足立区で生まれた武居由樹選手。
母子家庭で育った彼の幼少期は、愛情を求めながらも孤独を感じる日々が続いていました。
母親は息子を育てるために一生懸命働いていましたが、武居由樹選手は幼少期から“問題児”として知られ、手に負えない存在でした。
母親はその行動に悩み、最終的には息子をキックボクシングジムの古川誠一会長に預ける決断をします。
このジムは、素行に問題のある子供たちを引き取って指導する、いわゆる“駆け込み寺”として知られていました。
自分は母子家庭で生まれて、小さいころは母親の言うことをまったく聞かず、困らせていたんです。それで母親がいろいろ相談したら古川会長を紹介されたそうです。古川会長はそういう子どもの面倒も見ていたので。
引用:Number Web
武居由樹選手が10歳の時、彼は古川会長のもとで生活を始めます。最初は通いでジムに通っていましたが、次第に住み込みとなり、厳しいトレーニングの日々が始まりました。
古川会長は格闘技経験がなかったものの、武居由樹選手に対して厳しい指導を行い、礼儀作法や人としてのあり方を教えました。
最初は嫌々ながら練習を続ける日々を過ごしますが、次第に格闘技に対する興味を持つようになり、やがて大会で優勝するまでに成長を遂げていきます。
キックボクシングにもボクシングにも興味はなかったし、子どものころは正直嫌々やっていたという感じです(笑)。門限とかもあって生活は厳しかったですね。朝練やって、学校が終わってからはジムで練習して。友達に誘われても遊びにも行けず、そのうち誘われなくなった。やめたいと思ったこともありました。それでも、なんとなく流されながら続けていた感じですね。
引用:Number Web
また、武居由樹選手は古川会長の家族と共に生活しながら、多くのことを学びます。
特に会長の奥さんからは家庭的な面でも支えられ、お弁当を作ってもらうなど、温かい家庭環境が彼の成長を助けました。
武居由樹選手自身も「古川会長はほぼ父親と同じ存在」と語っていることから、その絆の深さが感じ取れます。
このような背景から、武居由樹選手はキックボクシングで成功を収め、さらなる高みを目指すことになっていくのです。
武居由街と母親の関係
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武居由樹選手と母親の関係は、彼が格闘家として歩む人生において欠かせない重要な存在です。
武居由樹選手の母親は、彼が幼い頃から働きに出ており、徐々に家庭内でのコミュニケーションがうまくいかなくなっていきます。
幼少期の武居由樹選手は母親に対し反抗的な態度を示すことが多く、母親の財布からお金を盗むなどの問題行動が目立ち始めました。
当時の行動について、武居由樹選手は「孤独を感じていたことが原因だった」と、振り返ります。
とにかく反抗的な態度をとっていました。やはりひとりで働いて育ててくれている母と生活がすれ違いになり、さみしかったですね。それで言うことを聞かなくなって。500円玉貯金からお金を抜いてしまったりも。さみしいから自分のことに目を向けてほしかったんだと思います。
最終的に、息子の素行に手が負えなくなった母親は、古川誠一会長が運営するキックボクシングに武居由樹選手を預けることを決断します。
そして、この母親の決断が武居由樹選手の人生を大きく変えていくこととなるのです。
このように、武居由樹選手と母親の関係は非常に複雑でありながらも、彼の格闘家としての成長と成功に大きな影響を与えたことは間違いありません。
問題児からボクシングへ
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“問題児”からボクシング世界チャンピオンへと上り詰めた武居由樹選手。
ここからは、彼の軌跡を詳しく紹介していきます。
- 格闘技をはじめたきっかけ
- キックボクシングでの輝かしい実績
- ボクシング転向後の快進撃
キックボクシングデビューから10年で獲得した、数々のタイトルにも注目です。
格闘技をはじめたきっかけは?
武居由樹選手が格闘技を始めたきっかけは、彼の家庭環境と個人的な背景に深く根ざしています。
武居由樹選手の母親は、女手ひとつで彼を育てていましたが、息子のやんちゃぶりに悩まされていました。
そこで、武居由樹選手が10歳の時、“息子を更生させる”ことを目的として、キックボクシングジム「POWER OF DREAM」に預けることを決断します。
これが、武居由樹選手が格闘技を始めたきっかけです。
シングルマザーで子育てをしてくれた母に対してかなり反抗的になってしまって…自分でいうのもおかしいんですが、手がつけられなかったんでしょうね。それで預けられていました。
最初は嫌々練習に通っていた武居由樹選手に対し、時にはPOWER OF DREAMの古川会長が自宅まで来て無理やり練習に連れ出すという熱心な指導もありました。
このような強制的な環境が後押しし、武居由樹選手は徐々に格闘技と向き合うようになります。
中学生になった武居由樹選手は、ジュニア大会に出場。そこで優勝を果たしたことで自信を持ち始め、「もしかして自分は強いのではないか」と思うようになりました。
プロデビュー後には連敗を喫し、一度は引退を考えるほど悩む時期もありました。しかし、周りからの応援を力に変え、格闘技への情熱を取り戻していきます。
キックボクシングでプロデビューしてから、なかなか勝てない時期があり、向いていないのかな、と思うこともありました。でも、ずっと格闘技しかやってきませんでしたし、皆が応援してくれているのは実感していたので、もっとちゃんとやらなきゃと思って乗り越えてきました。
引用:Adachi City
このように、武居由樹選手の格闘技への道は、母親の愛情と、古川会長の熱意によって開かれました。
ここから格闘家・武居由樹の挑戦と、新たな物語が始まることとなるのです。
キックボクシングでの輝かしい実績
武居由樹選手のキックボクシングでの主な実績やタイトルは以下の通りです。
キックボクシングデビューからボクシング転向までの輝かしい実績をご覧ください。
- 2014年11月9日:Krush.47でプロデビューし、たすく選手にKO勝ち。
- 2015年1月4日:Krush.49で佐野天馬選手に判定負けを喫する。
- 2016年6月12日: Krush.66で上羽優希選手にKO勝ちし、初代Krush-53kg王座を獲得する。
- 2017年4月22日:K-1 WORLD GP第2代スーパー・バンタム級王座決定トーナメントで久保賢司選手に勝利し、第2代K-1 WORLD GPスーパー・バンタム級王座を獲得する。
- 2018年3月21日:K’FESTA.1で久保賢司選手との再戦でKO勝ちし、王座防衛に成功する。
- 2019年6月30日: K-1スーパー・バンタム級世界最強決定トーナメントで玖村修平選手にKO勝ちし、トーナメント優勝を果たす。
- 2020年12月13日:K-1を卒業し、ボクシングへの転向を発表する。
武居由樹選手のキックボクシング時代の戦績は25試合中23勝(16KO)2敗と、素晴らしいものであり、その後のボクシング界で成功へと繋がっていきます。
ボクシング転向後の快進撃
武居由樹選手のボクシングでの主な実績やタイトルは以下の通りです。
ボクシング転向後も、武居由樹選手の快進撃は続きます。
- 2021年3月11日:プロボクシングデビュー戦を行い、高井一憲選手に対して1回TKO勝ちを収める。
- 2021年9月9日:竹田梓選手に対して1回TKO勝ちを収め、デビューから2連勝を飾る。
- 2022年4月22日:河村真吾選手との試合で2回TKO勝ちを収め、連勝を続ける。
- 2022年8月26日:OPBF東洋太平洋スーパーバンタム級タイトルマッチでペテ・アポリナル選手に5回TKO勝ちを収め、タイトルを獲得する。
- 2022年12月13日:OPBF王座初防衛戦でブルーノ・タリモ選手に11回TKO勝ちを収める。
- 2023年7月25日:フィリピンバンタム級王者ロニー・バルドナド選手とのノンタイトル戦で3回KO勝ちを収める。
- 2023年12月26日:バンタム級転向初戦となる元WBCコンチネンタルバンタム級王者マリオ・ディアス選手との一戦で、2回KO勝ちを収める。
- 2024年5月6日:WBO世界バンタム級タイトルマッチでジェイソン・モロニー選手に判定勝ちを収め、世界王者となる。これにより、日本人男性ボクサーとして100人目の世界王者となり、K-1とボクシング両方での世界王者となった初の選手となった。
- 2024年9月3日:WBO世界バンタム級初防衛戦として比嘉大吾選手と対戦し、3-0の判定勝を収める。
武居由樹選手は、プロボクシングデビューからわずか3年で多くのタイトルを獲得し、その実力を証明しています。
今後は、那須川天心選手とのビッグマッチの実現など、武居由樹選手の動向にボクシング界の注目が集まっています。
古川会長との出会い
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武居由樹選手と古川誠一会長の出会いは、彼の人生における重要な転機となりました。
キックボクシングジム「POWER OF DREAM」の古川会長は、問題を抱えた子供たちを引き取り、厳しい指導を行うことで知られていました。
10歳の時にキックボクシングジム「POWER OF DREAM」に預けられることとなった武居由樹選手は、ジムに住み込み、他のジム生たちと共同生活をしながら、厳しいトレーニングに励むことになります。
画像引用元:サンスポ (左:古川会長 / 右:武居由樹選手)
しかし、ジム入門後も武居由樹選手の反抗は止むことはなく、ジムでの生活面をサポートしてくれる古川会長の奥さんにも強くアタってしまいます。
最初は反抗していましたね。古川会長はとても怖かったので、生活面の世話をしてくれる奥さんのほうに対してひどかったかな。アタってしまうんですよね。そこしかアタるところがなかったというか…。今考えると、めちゃくちゃ罪悪感があります。
そんな武居由樹選手を本気で叱ってくれたのは古川会長でした。
古川会長の叱りを受けた武居由樹選手は、“本当に自分のことを思ってくれている”ことを理解し、その後は、心を入れ替えて真剣にトレーニングに取り組むようになっていきます。
はい、とにかく言葉の反抗ですね、暴言じゃないけど、無視とかだったかな。それで中学1年生くらいのとき、古川会長から本気で叱られましたね。その後は、本当のお父さん、お母さんのように接してくれているんだ、と理解できるようになって。小学校、中学、高校と卒業し24才までの14年間お世話になっていました。
また、武居由樹選手はボクシング転向後も古川会長との関係を大切にしており、週に数回は会長の元を訪れています。
彼は「古川会長はほぼ父親と一緒」と語り、その存在が精神的な支えになっていることを強調しています。
ほぼ父親と一緒ですね。今はジムも違いますし、場所も離れていますけどやはり何か話したいことがあったりすると、すぐ相談に行きます。
このように、武居由樹選手と古川会長の関係は単なる師弟関係を超えたものであり、互いに深い信頼と感謝の念を抱いています。
武居由樹選手が今後も成長し続けるためには、“父”との家族の絆が大きな力となるでしょう。
ボクシングキャリアのスタート
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2020年12月、武居由樹選手はK-1を卒業し、大橋ジムでプロボクサーとして新たなキャリアをスタートさせます。
ボクシングへの転向の背景には、K-1で成功を収めた後もさらなる挑戦を求める強い意欲がありました。
加えて、高校時代にアマチュアボクシングで満足のいく結果を出せなかった経験から、「もう一度挑戦してリベンジしたい」という思いがあったことを明かしています。
いろいろあるんですけど、やっぱり一番は挑戦したい気持ちが大きかった。K-1ではチャンピオンにもなって、やりきったという気持ちがありました。2階級制覇、3階級制覇というのも考えてはみたんですけど、当時は1階級上のチャンピオンが同門というのもありましたし……。
引用:Number Web
さらに、井上尚弥選手とノニト・ドネアの試合を観戦したことが、武居由樹選手のボクシングへの挑戦心にふたたび火をつけるきっかけを作りました。
高校時代にアマチュアボクシングをやっていたんですけど、その時にあまり結果を残せなかった。20戦くらいして勝ちと負けが半々くらいだったと思います。それでボクシングにリベンジしたいという気持ちもありました。もう一つ、(井上)尚弥さんとノニト・ドネアの第1戦(2019年11月)を見て、すごい盛り上がりで「ボクシングっていいな」と思ったこともきっかけになりました。
引用:Number Web
そして、武居由樹選手のボクシング転向への思いを、決断へと踏み切らせたのはPOWER OF DREAMの古川誠一会長からの「お前もうボクシングに行くといいよ」という一言でした。
K-1の最後の試合が終わったあと、キックボクサー時代に所属していたPOWER OF DREAMの古川誠一会長からも言われたんです。「お前もうボクシングに行くといいよ」って。
引用:Number Web
この言葉がボクシング転向の背中を押すこととなり、武居由樹選手の新たな挑戦が始まりました。
今後の目標と母親への感謝
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現在、WBO世界バンタム級王者としての地位を確立している武居由樹選手の目標は、スーパーバンタム級に転向しての2階級制覇です。
ただし、そのタイミングについては「負けてから」とも述べており、現階級での成功が前提であることを強調しました。
また、現在は中谷潤人選手が保持するWBC世界バンタム級王座のチャンピオンベルトにも興味を示しており、日本人同士の世界タイトルマッチにも期待が高まります。
「ボクシングに転向する前から(WBCの)緑色のベルトは欲しいと思っています」
引用:東スポ
さらに、武居由樹選手はWBO世界バンタム級王者として、那須川天心選手との対戦を熱望。「
いろんな方から言われるように、天心君と試合をして勝つこと」と、今後の目標の一つであることを明言しました。
二人の対戦については、「必ずやるので、焦らず待ってほしい」と話す那須川天心選手に対し、武居由樹選手は「待っているなら、じゃあ、お前もう1本(ベルトを)持ってこいよと思ってます」と、挑発的なコメントをしていることから、互いがその存在を意識し合っていることが分かります。
画像引用元:GONG
そして、格闘家として成長を続ける武居由樹選手の心にあるのは“母親への感謝の気持ち”です。
武居由樹選手は、幼少期に母親と離れて育ての親と過ごすことになりましたが、母親への感謝の気持ちは変わらず持ち続けています。
彼の母親は日夜働きづめで、武居由樹選手は「寂しい」「母親にかまってほしい」という思いを抱えていました。それでも、母親が自分を産んでくれたことに対して「本当に感謝している」と語っています。
武居由樹選手がK-1 WORLD GPで優勝した際には、「ここまで来れたのは会長と会長の奥さんと、かあちゃんとジムの仲間、応援してくれた皆さんのおかげです」と感謝の言葉を述べました。
武居由樹選手の心に根付く“母親への感謝”の想いは、今後も彼の挑戦を支え続けていくことでしょう。
まとめ
武居由樹選手の人生は、問題児としての幼少期からキックボクシング、そしてボクシングへと進む過程で大きく変わりました。
その転機となったのは、母親の愛情と決断、そして古川誠一会長との出会いです。
母親が育てた強い意志と、ジムでの厳しい指導により、武居由樹選手は格闘技を通じて人間性と技術を磨いていきました。
彼の格闘家としてのキャリアには、単なる努力だけでなく、支えてくれた人々との絆や、その感謝の念が深く根付いていると言えるでしょう。
今後は、WBO世界バンタム級王者としてのさらなる挑戦や、那須川天心選手との夢の対戦にも注目が集まります。
武居由樹選手の成長と挑戦の先にどのような未来が待っているのか、彼の活躍から目が離せません。