松山英樹の学歴・経歴を紹介!高校は明徳義塾、東北福祉大学4年生でプロに転向!

松山英樹 学歴 経歴

2021年のマスターズ・トーナメントを制したことにより、一躍世界のゴルフシーンに名を刻んだ松山英樹選手。

ゴルフファンの中には、彼がこれまでどんな道のりを歩んできたのか、その学歴や経歴を詳しく知りたい方も多いのではないでしょうか。

愛媛県松山市で生まれた松山英樹選手は、4歳の頃からゴルフを始めます。

小学校卒業後は、明徳義塾高校での全国大会優勝や東北福祉大学での成長を経て、大学4年生のときにプロへ転向しました。

彼の輝かしいゴルフキャリアは、才能だけでなく、多くの人との出会いや厳しい環境が後押ししてきました。

この記事では、松山英樹選手の学歴や経歴に焦点を当て、その歩みを詳しく解説

父親や恩師、ライバルとのエピソードを通じて、彼がどのように世界屈指のゴルファーへと成長したのかを紐解いていきます。

松山英樹選手の軌跡を知ることで、彼がゴルフ界に与えてきた影響をより深く理解できるはずです。

松山英樹のプロフィール

まずは、松山英樹選手のプロフィールを見ていきましょう。

  • 名前:松山 英樹(まつやま ひでき)
  • 生年月日:1992年2月25日
  • 年齢:32歳(2024年12月時点)
  • 身長:181cm
  • 体重:90kg
  • 血液型:B型
  • 出身地:愛媛県松山市
  • 出身校:明徳義塾高校→東北福祉大学

1992年2月25日、愛媛県松山市で生まれ。

父親の影響で4歳からゴルフを始め、ジュニア時代には石川遼選手と切磋琢磨して腕を磨きました。

地元の松山市立雄郡小学校を卒業後、明徳義塾中学校・高等学校を経て、東北福祉大学に進学。

大学在学中の2010年にアジア・アマチュア選手権で優勝し、翌年のマスターズ・トーナメントへの出場権を獲得しています。

また、2011年にはマスターズでローアマチュア(アマチュア選手の中で最高成績を収めた選手に贈られる称号)を獲得。

日本オープンで3位に入るなど、アマチュアとしての実績を積み重ねました。

2013年にはプロに転向し、同年の「つるやオープンゴルフトーナメント」でプロ初優勝を果たします。

日本ツアーではルーキーイヤーにして賞金王に輝き、年間4勝を挙げる快挙を達成。さらに、PGAツアーで22歳で最年少優勝を果たし、現在までに10勝を挙げています。

2021年4月、マスターズ・トーナメントで優勝し、日本人およびアジア人として初めてこの大会を制覇。

2024年に開催されたパリオリンピックでは銅メダルを獲得し、日本男子初のオリンピックメダリストとなりました。

松山英樹の学歴

ここでは、松山英樹選手の学歴を紹介していきます。

  • 松山市立雄郡小学校
  • 松山市立雄新中学校
  • 明徳義塾中学校
  • 明徳義塾高校
  • 東北福祉大学

松山英樹選手の学歴は、彼のゴルフキャリアを形作る重要な基盤となりました。

小学校時代から明徳義塾高校、そして東北福祉大学へと進む中で、どのようにゴルフと学業を両立させ、プロゴルファーへの道を切り開いたのかを詳しく見ていきます。

父親や、恩師、ライバルなど、松山英樹選手のターニングポイントを作った数々の出会いにも注目です。

松山市立雄郡小学校

松山英樹選手は、地元の松山市立雄郡小学校に通いました

4歳からゴルフを始めた松山英樹選手は、父親に連れて行ってもらった打ちっぱなしの練習場で、1日に1300球以上もボールを打ったという逸話があります。

「どんどん出てくるボールを、ただポンポンって打っていくのが楽しかっただけなんだけど……」

引用:Number Web

小学生時代の松山英樹選手は夏休みになると、近所の練習場にほぼ毎日通ったといいます。

週末には実際のコースに行き、パッティング、アプローチ用のグリーンで長い時間を費やしてきました。

また、松山英樹選手の自宅には、父・幹男さんの工夫によって完成した素振りやパッティング練習ができる専用の部屋が用意されており、練習場に行けない日は、自宅の廊下でアプローチショットの練習に励んでいました。

マットがしきつめられた、パター練習もできる6畳の部屋で素振りを行い、廊下でアプローチ練習もしながら技術を磨いた。外のガレージにネットを張り、ショット練習もしていたが、練習場に行ける日を待ちわびながら、とても多くの時間を素振り部屋で過ごした。

引用SPAIA

小学生時代は大きなタイトルこそなかったものの、その才能に目をつけたのは、明徳義塾中・高ゴルフ部の高橋章夫総監督でした。

高橋章夫監督は、当時の松山英樹選手のことを次のように振り返ります。

「小学3年のころに四国ジュニアの大会で初めて松山を見たとき、目がキラキラ輝いていた。よっぽどゴルフが好きなんだなと印象的で、『将来はウチに来い』なんて冗談で言ったのを昨日のことのように覚えています」

引用:日刊ゲンダイ

この高橋章夫総監督との出会いが、松山英樹選手の将来を大きく変えていくこととなるのです。

松山市立雄新中学校

松山市立雄郡小学校を卒業した松山英樹選手は、地元の松山市立雄新中学校へ進学しました。

しかし、中学2年生の時には地元愛媛を離れ、高知県のゴルフ強豪校である明徳義塾中学校に編入しています。

そのとき、松山英樹選手に声をかけていたのが、明徳義塾の高橋章夫監督です。「3年生になる頃には全国の高校から注目されることになる」と、同中学への編入を勧めました。

高橋章夫監督松山英樹選手の恩師・高橋章夫監督 画像引用元:サンスポ

松山英樹選手の父・幹男さんは、当初この編入に反対していました。

しかし松山英樹選手は、よりゴルフに専念するための環境を求めて、明徳義塾中学への編入を決断

最終的には、父・幹男さんも明徳義塾中学行きへのゴーサインをだします。

そしてこの編入をきっかけに、松山英樹選手の親元を離れての寮生活が始まりました。

明徳義塾中学校

明徳義塾中学校に編入した松山英樹選手は、毎日朝5時頃から練習を始め、午後の部活後も暗くなるまでクラブを振り続けるという、ゴルフ漬けの日々を送ります。

彼の恩師である高橋章夫監督は、「とにかく練習量がすごかった。どの卒業生よりも確実に練習していた」と、当時の様子を語りました。

「上手いけれど特段上手いわけではなかった。ただ、のびのび練習しているのを見て、“僕好みの選手だ”と惚れこみ、ぜひウチでと編入をお願いしたほど。松山はマジメな努力家です。僕は明徳ゴルフ部の監督を30年やってきましたが、練習量は歴代一ですね。よくあるように髪の毛をいじったりチャラチャラすることはなかった」

引用:デイリー新潮

そんな、松山英樹選手を高く評価する高橋章夫監督には、中学時代の忘れられないエピソードがあるといいます。

中学2年生のとき、四国ジュニア選手権の直前に友人とはしゃいで溝に落ちてしまった松山英樹選手。

手の指を骨折してしまったにもかかわらず、ギプスをはめたまま強行出場し、見事に2位を獲得したのです。

「中学2年夏の四国ジュニア選手権の直前、友だちとはしゃいで溝に落ちて手の指を骨折してしまったことです。それでもギプスをはめたまま強行出場して2位になった。ホントにゴルフが好きなんだと感心しました」

引用:デイリー新潮

また、中学時代は野菜が苦手だった松山英樹選手ですが、後輩の家で過ごすうちに栄養の重要性を理解し、徐々に野菜を食べるようになったというエピソードもあります。

「明徳義塾は週末は家に帰れるので、英樹は中学時代まで毎週のようにウチに遊びに来て、泊まったりもしてくれていました。最初はあまり好きではなかった野菜も、栄養の吸収率や野菜の作用を教えると、納得したのか、『うめえ』って言いながら食べるようになったんです」(後輩の母・山本志穂美さん)

引用:日刊ゲンダイ

これらのエピソードからもわかるように、松山英樹選手の中学時代は彼のゴルファーとしての基盤を築く重要な時期であり、多くの人々との関わりや経験が彼の成長に影響を与えました。

明徳義塾高校

松山英樹選手が所属した明徳義塾高校ゴルフ部は、全国的に有名な強豪チームとして知られ、技術の向上だけでなく、マナーや思いやりの心を養うことを重視しています。

高校時代の松山英樹選手は、特に2008年に全国高等学校ゴルフ選手権大会で優勝したことが大きな転機となりました。

この優勝により、彼は日本ゴルフ協会(JGA)のナショナルチームにも選ばれ、将来のプロゴルファーとしての道を切り開くことになります。

また2009年には、日本ジュニアゴルフ選手権競技男子15歳〜17歳の部で優勝し、国際舞台でもその実力を示しました。

松山英樹 石川遼画像引用元:Number Web

そして、高校時代から松山英樹選手のライバルとして、切磋琢磨してきた存在が石川遼選手です。二人は同じコースで練習することも多く、互いの成長を刺激し合う存在でした。

石川遼選手は松山英樹選手と同じく明徳義塾出身で、二人の初対面は中学1年生のときにさかのぼります。

当時の松山英樹選手は、石川遼選手のスイングや飛距離に驚き「すごいヤツがいた」と父親に話したことを記憶しているそうです。

また、その後のインタビューでは、高校時代からすでにプロとして活躍し始めていた石川遼選手をみて「悔しい想いが溢れていた」ことを打ち明けています。

分かった、分かった。「1カ月前に一緒に回ったやん」って思った。その前の日までの成績は新聞では知ってたの。確か20位くらいだったでしょう?で、友達に勝ったって聞いて「んなわけねーだろ」って思った。「一日でそんなに逆転できるわけねえ」って。だから、マジかよ、ヤベェみたいな。すげえな…というのと、悔しいなと思った。

引用:GDOニュース

高校卒業後はプロ転向を志願していた松山英樹選手でしたが、それに“待った”をかけたのが、東北福祉大学の阿部靖彦監督でした。

阿部靖彦監督は、3年生のときに出場した日本アマチュア選手権で予選落ちし、プロ転向に不安を抱えていた松山英樹選手に「今のままでは並のプロにしかなれない。もっと練習を積み重ねなさい」と、言葉を掛けます。

この言葉がきっかけとなり、松山英樹選手は東北福祉大学への進学を決意しました。

東北福祉大学

松山英樹選手のゴルフキャリアのターニングポイントは、東北福祉大学1年生の秋に訪れます。

2010年、埼玉・霞ヶ関カンツリー倶楽部でのアジアアマチュア選手権で日本人初の優勝を果たし、翌年のマスターズ・トーナメント出場権を獲得。

この大会で、松山英樹選手は予選を通過し、日本人として初めてローアマチュア(アマチュア選手の中で最高成績を収めた選手に贈られる称号)を獲得するという快挙を成し遂げたのです。

さらに、2011年の三井住友VISA太平洋マスターズでは、アマチュアとして優勝を飾ります。

これは日本ツアーにおいてアマチュアが優勝した数少ない例の一つとなり「プロよりも強い学生アマ」として、その名を全国に轟かせました。

そして2013年、松山英樹選手は大学4年次にプロ転向を決意し、その後すぐにプロツアーで活躍を始めました。

プロ1年目となった2013年には、つるやオープンでプロ初勝利を挙げ、その年には年間4勝を達成し、日本ツアー賞金王にも輝いています。

松山英樹画像引用元:GDOニュース

その後、松山英樹選手は2014年3月20日に東北福祉大学・社会福祉学科を卒業

卒業式では銀の文様が入った袴に真っ白な羽織姿で登場し、多くの同級生や教職員から祝福を受けました。

彼はこの日、「素直に嬉しい」と卒業への想いを語り、プロゴルファーとしての新たなスタートを切ることへの希望と使命感を口にしています。

「去年は自分1人がプロになったけど、仲間はまだアマチュアだった。今日はそれぞれみんなが新たな道に進むので1年前とは違うと思う」

引用:GODニュース

また、東北福祉大学在学中に被災地となった東北・仙台との繋がりは強く、大学卒業後も東日本大震災の復興支援活動にも積極的に参加しています。

「ゴルフを通して頑張っている姿を見せていきたい」と、誓う松山英樹選手。今後も被災地に夢や希望を届ける活躍を見せてくれるでしょう。

松山英樹のプロでの経歴

松山英樹選手のプロでの経歴を、主な戦績と獲得賞金に分けて紹介していきます。

プロ転向1年目から日本ツアーで賞金王を獲得した、松山英樹選手の輝かしいキャリアに注目です。

松山英樹の戦績

松山英樹選手のプロ転向後の主な戦績は以下の通りです。

  • PGAツアー優勝:松山英樹選手はPGAツアーで10回の優勝を果たしています。特に2021年のマスターズ・トーナメントでの優勝は、アジア人選手として初めての快挙であり、彼のキャリアにおける重要なマイルストーンとなりました。
  • メジャー大会成績: 2021年のマスターズ・トーナメントで優勝し、全米オープンでは2017年に2位タイ、PGA選手権では2016年に4位タイ、全英オープンでは2013年に6位タイの成績を収めています。
  • オリンピック成績:2024年パリオリンピックでは男子ゴルフ競技において銅メダルを獲得し、日本男子初のオリンピックメダリストとなりました。

松山英樹選手は2013年にプロ転向し、その年に4勝を挙げて賞金王を獲得しました。

2014年からは米国PGAツアーを主戦場とすると、同年の「ザ・メモリアルトーナメント」で日本人最年少優勝を果たします。

2021年にはアジア人として初めてマスターズ・トーナメントを制覇し、日本人男子初の4大メジャー制覇を達成しました。

松山英樹画像引用元:読売新聞オンライン

2024年シーズンでは、フェデックスセントジュード選手権で優勝し、PGAツアー通算10勝目を達成しました。

また、ダンロップフェニックスで2位タイ、ZOZOチャンピオンシップで46位、ツアー選手権で9位と、安定した成績を収めています。

これら、松山英樹選手の輝かしい成績は、日本ゴルフ界全体に多大な影響を与えています。

松山英樹の獲得賞金

松山英樹選手のシーズン獲得賞金は以下の通りです。

年代 獲得賞金 勝利数
2013-2014 約4億1700万円 1勝
2014-2015 約5億5200万円 未勝利
2015-2016 約6億1600万円 1勝
2016-2017 約12億3100万円 3勝
2017-2018 約3億9500万円 未勝利
2018-2019 約4億9000万円 未勝利
2019-2020 約5億3800万円 未勝利
2020-2021 約7億2900万円 1勝
2021-2022 約8億4800万円 2勝
2022-2023 約5億6900万円 未勝利
2024 16億6850万円 2勝

参考:ALVA Net

松山英樹選手の獲得賞金は、PGAツアーでの成功が顕著に反映されており、2024年シーズンには自己最高となる約16億6850万円(1123万7611ドル)を獲得しています。

特にこのシーズンは「フェデックス・セントジュード選手権」と「ジェネシス招待」での優勝が、獲得賞金アップの大きな要因となりました。

松山英樹画像引用元:THE ANSWER

また、松山英樹選手の生涯獲得賞金は、2024年時点で5540万1807ドル(約81億4200万円)に達し、米ツアー生涯獲得賞金ランキングで13位に位置しています。

この記録は、松山英樹選手が世界トップレベルのプレーヤーであることを物語っています。

まとめ

松山英樹選手は、4歳から始めたゴルフを通じて努力を重ね、学生時代には明徳義塾高校東北福祉大学で全国レベルの実績を積み上げました。

その後、2013年にプロ転向を果たし、日本ツアーでの輝かしい成果を皮切りに、PGAツアーやメジャー大会で歴史的な勝利を収めています。

特に2021年のマスターズ・トーナメント優勝は、日本人ゴルファーとして世界のトップに立った瞬間でした。

また、2024年のパリオリンピックでは銅メダルを獲得し、日本男子ゴルフ界の歴史に新たな1ページを刻んでいます。

こうした松山英樹選手の努力と実績は、多くの若手ゴルファーに夢と希望を与え、今後もゴルフ界全体に大きな影響を与え続けていくことでしょう。