2024年パリオリンピックの柔道女子48kg級で見事金メダルを獲得した角田夏実選手。
日本選手団第一号の金メダリストとなった彼女は、世界選手権3連覇の実績を持つトップアスリートです。
31歳11ヶ月での金メダル獲得は日本女子柔道史上最年長記録となり、さらなる期待が高まっています。
小学2年生から始めた柔道で頂点を極めた角田夏実選手は、現在も現役続行を表明し、新たな挑戦を続けています。
父親の影響で始めた柔道から、世界の頂点に立つまでの軌跡と、今後の展望についてご紹介します。
Contents
角田夏実のプロフィール
画像引用元:TEAM JAPAN
角田夏実選手の基本情報は次の通りです。
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【主な成績】
- 2024年パリオリンピック 女子48kg級 金メダル
- 世界柔道選手権 女子48kg級 3連覇(2021年-2023年)
- 2018年アジア競技大会 女子52kg級 優勝
- 2023年アジア競技大会 女子48kg級 優勝
角田夏実選手は千葉県八千代市出身の柔道家です。
2019年に52kg級から48kg級に階級を変更し、その後めざましい活躍を見せています。
得意技は巴投げから寝技に繋ぐスタイルで、特に寝技の技術は大学時代に磨かれました。
世界選手権では2021年から2023年まで3連覇を達成し、その実力は国際的にも高く評価されています。
小柄ながらも力強い技と戦術的な試合運びが持ち味で、国内外の大会で数々の実績を残してきました。
角田夏実の学歴と経歴
角田夏実選手の柔道人生は、幼少期から現在に至るまで、着実な成長と数々の試練を乗り越えて築かれてきました。
各時期での経験が、現在の強さの礎となっています。
特に父親の存在と、各段階での挫折や困難を乗り越えた経験が、彼女を大きく成長させました。
柔道をはじめたきっかけは?
画像引用元:スポニチSponichiAnnex
角田夏実選手が柔道を始めたのは小学2年生の時でした。
きっかけは父親の影響です。父親は柔道整復の専門学校で柔道部に所属していた経験があり、その経験を活かして娘に柔道を勧めました。
父親は口で説明するよりも感覚で教えるタイプで、上手くできないときには言い合いになることもあり、泣きながら練習することもあったそうです。
もともと体を動かすことが好きだった角田選手は、マット運動などを楽しんでいた経験もあり、柔道に自然と親しんでいきました。
また、父親が経営する接骨院の影響もあり、体の使い方や怪我の予防についても早くから意識を持つようになりました。
八千代私立勝田台小学校時代
画像引用元:産經新聞
八千代市立勝田台小学校時代、角田夏実選手は父親から柔道を教わるだけでなく、八千代警察署の道場でも練習を重ねました。
当時は「泣き虫なっちゃん」と呼ばれるほど涙もろく、練習中に泣くこともありましたが、その感受性の強さは後の成長に良い影響を与えたとも言えます。
低学年の頃は、前転・後転といった簡単な動きから始め、少しずつ打ち込みなども行うようになりました。
柔道以外にも水泳を習っており、これが後のスタミナや肩の筋肉につながったと角田選手自身が語っています。
当時は身長も低く体重も少なかったため、周囲から「よく柔道をやっているね」と驚かれることもありましたが、その小柄な体格を活かした技術を磨いていきました。
松蔭中学校・勝田台中学校時代
画像引用元:毎日新聞
中学時代は角田夏実選手の柔道人生における重要な転機となりました。最初は八千代松陰中学校に通っていた彼女は、中学2年生で県大会優勝を果たし、全国中学校柔道大会の44kg級に出場します。
しかし、この大会で彼女は大きな挫折を経験します。初戦で開始わずか13秒という早さで一本背負投を決められ、あっけなく敗退してしまいました。
この屈辱的な敗戦が、角田選手の柔道人生を大きく変える転機となります。
「もっと強くなりたい」「もっとしっかり練習しなければ」という強い決意が芽生え、より本格的な環境で柔道に打ち込むことを決意します。
その結果、中学3年生の10月には、全国大会常連の八千代高校に進学するため、八千代市立勝田台中学校に転校しました。
転校に際して、両親には「本当にやる気があるのか」と何度も確認され、転校後の道のりが楽ではないことを言われました。
実際、転校後は学校生活や勉強のカリキュラムの変化についていくのも大変でしたが、近隣にある県内強豪の八千代高校の練習にも参加するようになり、徐々に力をつけていきました。
千葉県立八千代高校時代
画像引用元:チイコミ
千葉県立八千代高校での3年間は、角田夏実選手にとって人生で最も努力を重ねた時期となりました。
朝練習から放課後は夜遅くまで練習の毎日で、合宿では大学へ行って現役大学生と練習ができる機会もありました。
2年生の時にはインターハイで3位入賞を果たし、その実力は着実に開花していきましたが、3年生の時は全国5位と、目標としていた日本一には届きませんでした。
高校3年間で日本一になることを目標にしていただけに、この結果は角田選手に大きな挫折感をもたらしました。
そのショックから「もう柔道はいいかな」と思うほど落胆し、高校卒業時には柔道をやめてパティシエの専門学校に行くことも考えていたそうです。
しかし、八千代高校の体育科での経験、特にキャンプ、スキー、遠泳などの名物実習を通じて培った精神力が、彼女を支えることになります。
特に遠泳では、南房総の岩井海岸を約2時間かけて泳ぎ切った経験が、大きな自信となりました。
東京学芸大学時代
画像引用元:Number
東京学芸大学への進学は、角田夏実選手の柔道スタイルを大きく変えることになります。
大学の柔道部は自主性を重んじるスタイルで、練習時間も少なく休みも多いという、これまでとは全く異なる環境でした。
一般入試で入学した角田選手は、授業の合間に柔道の練習をする日々を送りました。
この環境で特筆すべきは、大学のOBに混ざって柔術にも参加する機会を得たことです。
この経験が角田選手の得意な寝技に深く影響を与え、現在の彼女の武器となっています。
大学3年生の時には全日本学生柔道体重別選手権大会で優勝し、東京学芸大学出身では初のチャンピオンとなる快挙を成し遂げました。
同じく大学3年生の時には、第68回国民体育大会青年女子の部で千葉県チームの優勝に大きく貢献し、翌年の大学4年生の時には、第69回国民体育大会で2連覇を達成。
講道館杯全日本柔道体重別選手権大会でも5位に入賞するなど、着実に実績を積み重ねていきました。
しかし、大学卒業後に予定していた了徳寺学園(現・エイジェック学園)への就職直前に、右膝前十字靱帯損傷という大けがを負います。
このけがにより、入社後1年以上試合に出場できず、「クビになる」と不安を感じる日々を送りました。
しかし、復帰初戦の全日本実業個人選手権で2位に入賞し、その後講道館杯で初優勝、続くグランドスラム東京大会も制するなど、一気に世界で戦う選手へと飛躍を遂げました。
パリ五輪で金メダル!
画像引用元:PARIS2024
2024年7月27日、パリオリンピックの柔道女子48kg級決勝で、角田夏実選手は見事金メダルを獲得しました。
この金メダルは日本選手団にとって今大会初の金メダルとなり、大会の幸先良いスタートを切ることになりました。
決勝戦では世界ランク2位のバフードルジ・バーサンフー(モンゴル)と対戦。
2分54秒に得意の巴投げで技ありを奪い、そのまま攻め続けて見事勝利を収めました。
初戦からブラジル選手に一本勝ち、2回戦も一本勝ちと順調に勝ち進み、準決勝では延長戦の末に反則勝ちを収めるなど、安定した試合運びを見せました。
この金メダルには複数の歴史的意義があります。
まず、女子48kg級での日本人の金メダル獲得は、2004年アテネ大会の谷亮子選手以来実に20年ぶりとなりました。
また、31歳11ヶ月での金メダル獲得は日本女子柔道史上最年長記録という偉業も達成。
角田選手にとって初めてのオリンピック出場での金メダル獲得となり、2021年から2023年まで世界選手権3連覇を達成していた実力を、最高の舞台で発揮することができました。
表彰式では感動の涙を流し、「終わったのかなという安堵感が強かった」と語った角田選手。
大会前は様々なプレッシャーを感じていたものの、それを乗り越えての金メダル獲得は、多くの人々に感動と勇気を与えることとなりました。
角田夏実の今後は?
画像引用元:日テレNEWS
パリオリンピック後、角田夏実選手は現役続行を表明しています。
「やっぱり柔道は好きだなと思って。どこまで目指せるかは分からないけど、やれるところまでやりたい」という言葉には、柔道への深い愛着が感じられます。
しかし、現在は両膝のけがが完治しておらず、テーピングが欠かせない状態です。
当面は怪我の回復と体調管理に重点を置き、段階的にトレーニングを再開していく慎重な姿勢を見せています。
2028年のロサンゼルスオリンピックについては現時点では視野に入れていないものの、状況次第では長期的な競技継続も考えられます。
競技以外の面では、インスタグラムなどのSNSを通じてファンとの交流を続けており、今後はスポンサー活動や広告出演なども増える可能性があります。
また、経験豊富な選手として、後進の指導や柔道の普及活動に携わる機会も増えることが予想されます。
柔道界からの期待も高く、SNSでの投稿には多くの「いいね」が付き、「可愛い」などのコメントも寄せられるなど、柔道選手としてだけでなく、一人の女性としても人気を集めています。
過去に講演を行った学校の教員からも、「応援していたので本当にうれしい」という声が寄せられており、多くの人々に影響を与える存在となっています。
まとめ
以上が、角田夏実選手の輝かしい経歴について詳しく解説してきました。最後にポイントを簡単にまとめたいと思います。
- 小学2年生で父親の影響により柔道を開始し、八千代警察署道場でも練習を重ねる
- 中学時代の全国大会での敗戦を契機に、より強い環境を求めて転校を決意
- 八千代高校時代は朝から夜まで厳しい練習に打ち込み、インターハイ3位など実績を残す
- 東京学芸大学で柔術も取り入れた練習を行い、現在の得意技となる寝技を確立
- 大学卒業後の大怪我を乗り越え、世界の強豪と戦える選手へと成長
- 2019年に52kg級から48kg級に階級を変更し、世界選手権3連覇を達成
- 2024年パリオリンピックで金メダルを獲得し、日本女子柔道史上最年長記録を樹立
- 現在は怪我の回復に努めながら、現役続行を目指す
角田夏実選手の柔道人生は、数々の挫折や困難を乗り越えながら、着実に実績を積み重ねてきた軌跡といえます。
父親の影響で始めた柔道は、彼女の人生そのものとなり、パリオリンピックでの金メダル獲得という最高の結果につながりました。
中学時代の全国大会での敗戦、高校時代の日本一への挫折、大学卒業後の大怪我など、幾度となく訪れた試練。
しかし、それらを一つ一つ乗り越えていく過程で、角田選手は技術面だけでなく、精神面でも大きく成長していきました。
パリオリンピックでの金メダル獲得は、その努力が実を結んだ証であり、日本柔道界にとっても大きな励みとなりました。
現在は両膝の怪我という新たな課題に直面していますが、柔道への深い愛着を持ち続け、さらなる高みを目指す角田選手の今後の活躍からも目が離せません。
経験豊富な選手としての指導者的な役割も期待される中、柔道界への貢献もますます大きくなっていくことでしょう。