住吉りをん選手のフィギュアスケートキャリアは、幼いころからの情熱と努力によって築かれてきました。
4歳でスケートを始めた彼女は、全日本ノービス選手権で歴代最高得点を叩き出すなど、数々の成果を上げてきました。
しかし、怪我という逆境も経験しながら、彼女の挑戦は続いています。この記事では、そんな住吉りをん選手の輝かしいキャリアと、その道のりに焦点を当てていきます。
■本記事で得られる情報
- 住吉りをん選手の基本的なプロフィールと名前の由来
- フィギュアスケートを始めたきっかけとその影響
- 詳細な学歴情報、小学生から大学時代までの教育経路
- 彼女のフィギュアスケートキャリアと主な成績
読み終える頃には、あなたもフィギュアスケートの世界に一歩踏み出す勇気と知識を得ることができるでしょう。最後までぜひご覧ください。
Contents
住吉りをんの基本情報
画像引用元:テレビ朝日
住吉りをんのプロフィール
住吉りをん選手は、2003年8月15日生まれ、東京都出身のフィギュアスケート選手です。
彼女は、156センチメートルの身長を持ち、現在は明治大学商学部に在学中です。
学業を進めながらも、スケートの練習に励む彼女は、2026年のミラノ・コルティナダンペッツォ冬季オリンピック出場を目指しています。
また、オリエンタルバイオ社との所属契約を結び、スポンサーとしての支援も受けています。彼女は特に注目されている点として、日本女子で初めての4回転トウループを成功させた選手として知られています。
名前 | 住吉りをん |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 2003年8月15日 |
身長 | 156cm |
所属クラブ | オリエンタルバイオ |
住吉りをんの名前の由来は?
「住吉りをん」という名前の特徴的な部分は、通常の「りおん」という発音を「りをん」と表記していることです。
このユニークな名前の由来について、彼女はあるインタビューで明らかにしています。
元々、彼女の両親は、8月生まれで獅子座である彼女に、フランス語で獅子を意味する「Lion(リオン)」にちなんで「りおん」としたかったそうです。
しかし、彼女の姉が4歳の時、姉の友達と同じ名前を妹に付けることを望まなかったため、「お」を「を」に変更し、「りをん」となりました。
「りをん」という名前について、ネット上ではさまざまな意見が寄せられています。
「住吉りをん」の名を見て衝撃を受けたのは自分だけでしょうか?
私ら婆さんからしたら、懐かしいかな遣いです。
ひょっとしたら、祖父母さんとかがつけたのかも知れませんね。
珍しいとは思いましたが、衝撃的と言う程には思えませんでした。
中々独創的なお名前ですね。
『を』を名前に入れるのはクラシックな使い方が時代を何周もして逆に目新しい印象を受けますね。引用:yahoo知恵袋
住吉りをん選手は自身の名前を気に入っていると話しています。
一度覚えたら印象に残るので気に入っています。
なお、フランス語の「Lion」には「勇敢な人」という意味も含まれています。
住吉りをん選手の名前に込められた家族の愛情は、彼女のキャリアと同じく、非常に特別なものです。
彼女の名前「りをん」には、家族からの強い願いが込められているんでしょうね。
住吉りをんがフィギュアスケートを始めたきっかけは?
画像引用元:毎日新聞
姉の影響で始まったスケート人生
フィギュアスケートの世界で注目されている住吉りをん選手が、なぜこのスポーツを始めたのかは、多くのファンが興味を持つ話です。
彼女がスケートを始めたのはわずか4歳の時。
そのきっかけには、住吉りをん選手の姉が大きく関わっています。
画像引用元:日刊スポーツ
住吉りをん選手の姉は、かつてフィギュアスケートの荒川静香さんの美しいイナバウアーに魅了され、自らもスケート教室に通い始めました。
その時、まだ幼かったりをん選手も姉に同行して教室へと足を運びました。
姉が何かに取り組む姿を近くで見て育ったりをん選手は、自然と姉の行動を真似るようになり、フィギュアスケートに興味を持ち始めたのです。
小さな住吉りをん選手は、始めはただ姉の後を追っているだけでしたが、氷の上での滑りを楽しむようになり、自分でもスケートを続けるようになりました。
住吉りをん選手はスケートにはまっていくきっかけを聞かれた際、以下のように答えています。
陸では滑らないのに、氷では勝手に前に進むみたいな感じで。しかもくるくる回れないけど、回ってみたり。それを遊びでやっていたのがすごく楽しかったです。
姉がスケートを辞めた後も、住吉りをん選手はスケートを続け、今ではその才能を花開かせています。
このようにして始まったりをん選手のフィギュアスケートへの情熱は、小さなきっかけから大きな夢へとつながっていったわけです。
姉の影響を受けてスタートしたスポーツが、今では住吉りをん選手にとって大切な一部となっており、多くの人々を魅了して止まないのです。
住吉りをんの学歴
この投稿をInstagramで見る
小学生時代
彼女が通っていた小学校は、渋谷区内の公立校ですが、具体的な校名については公表されていません。
渋谷区立の小学校には、鳩森小学校、千駄ヶ谷小学校、神宮前小学校、代々木山谷小学校などがあり、彼女が通っていた学校もこれらのいずれかである可能性が高いとされています。
また、住吉りをん選手の小学生時代は、まさに多才で活発な少女だったと言えるでしょう。
小学校3年生になるまでに、彼女はすでに7つもの習い事に挑戦していました。
これらにはバレエ、水泳、ヒップホップダンス、ピアノ、そしてピラティスが含まれているとされています。
これらの中でも、特に彼女が情熱を注いでいたのがフィギュアスケートでした。
これらの習い事を通じて、彼女はさまざまな才能を開花させ、多方面での才覚を発揮していたのです。
彼女は小学生の頃のエピソードを以下のように話してくれました。
その頃、その時期によって、はやりがあるんですよ。鉄棒がはやる時期があれば、ブランコや竹馬がはやる時期もある。いかに早くそれを取るか、みたいな。授業が終わった瞬間に教室を出て、すごい速さで上履きを履き替えたりしてましたね(笑い)」
引用:日刊スポーツ
学業においても非常に好奇心が旺盛だった住吉りをん選手は、「これもやりたい、あれもやりたい」と常に新しいことに挑戦することを楽しんでいました。
実際に「塾にも通いたい」と両親にせがんだこともありますが、多忙を極める日々に母親は「さすがに減らしなさい」と言って習い事の数を減らすように促したそうです。
中学生時代
画像引用元:Jsports &コラムニュース
住吉りをん選手は東京都渋谷区の公立・渋谷区立原宿外苑中学校に通っていました。
明治神宮外苑フィギュアスケートクラブでの練習に励み、中学1年生の時には全日本ノービス選手権ノービスAで難易度の高いジャンプを成功させ、108.25点を記録しました。
この得点はノービスカテゴリーの歴代最高得点を更新し、見事優勝を果たし、大きな注目を浴びました。
それまで優勝できるなんて思ったことがありませんでした。でも、全日本ノービスで優勝してから、周りの見る目もすごく変わりましたし、次の試合で失敗したらどうしよう、結果を出さなければというプレッシャーも生まれるようになりました
住吉りをん選手は、この出来事がスケート人生において大きな転機となったと語っています。
中学2年生のシーズンは、腰の靭帯損傷というけがに見舞われ、全日本ジュニア選手権や全日本選手権への出場が叶いませんでした。
この時期は試合から遠ざかっていたものの、リハビリとトレーニングに専念し、次のシーズンへの回復を目指していました。
8月に行われたジュニア合宿に参加した際、りをんさんはインタビューにも応じました。
中学3年生の時には、国際スケート連盟(ISU)ジュニアグランプリシリーズに参加し、カナダとスロベニアで行われた大会に出場しました。
カナダ戦では3位に入るなど、国際舞台での経験も積み、更なる成長を遂げることができました。
また、この年にはフジテレビの番組「ミライ☆モンスター」で特集され、「全中」へ向けた練習風景も放映され、多くの人々に彼女の努力と才能が紹介されました。
高校生時代
この投稿をInstagramで見る
住吉りをん選手が通った駒場学園高校は、彼女にとって多くの挑戦と成長の場となりました。
特に2019年から2020年のシーズン、高校1年生の時には、練習中のアクシデントにより右足首の骨に亀裂が入るという大きな試練に見舞われました。
この怪我により、住吉さんは約4か月間の安静を余儀なくされ、その年の全国大会への出場も逃してしまいました。
しかし、彼女はスケートに対する情熱を決して失わず、「スケートを一度も嫌いにならなかった」と後に振り返っています。
彼女はこの困難を乗り越え、翌2021年から2022年のシーズンに見事なカムバックを遂げます。
全日本ジュニア選手権で2位に輝き、その後、世界ジュニアフィギュアスケート選手権に出場して8位に入るという成果を収めました。
この投稿をInstagramで見る
さらに、高校2年生のときには第71回全国高等学校スケート選手権大会で優勝し、高校3年生の時のクープドプランタン2022(プランタン杯)では2位を獲得するという素晴らしい結果を残しました。
加えて、住吉りをん選手は東京オリンピックの聖火リレーにも参加しました。
この投稿をInstagramで見る
2021年7月22日、東京都内で行われた聖火リレーの14日目には、彼女が港区の区立芝公園でトーチキスを行い、その後フィギュアスケートのポーズを披露して会場を沸かせました。
画像引用元:読売新聞
このように、住吉りをん選手は高校時代を通じて、スポーツの世界だけでなく、公のイベントにおいてもその才能と魅力を発揮し続けています。
大学時代
この投稿をInstagramで見る
住吉りをん選手は高校を卒業後、私立の明治大学商学部に進学しました。
商学部で経済学や簿記、商業学を学びながら、語学として中国語も勉強しています。
彼女は一般受験ではなく、フィギュアスケートでの実績を認められ、スポーツ推薦で大学に入学しました。大学生活は彼女にとって新たな挑戦の場となっています。
住吉さん自身も、以下のように語っています。
午前の入学式に出席して、ようやく大学生になった実感が湧きました。高校生活とは異なり、公欠が認められることもなく、勉強とスケートの両立には一層の努力が必要になりました
引用:日刊スポーツ
住吉りをん選手はパン作りも得意で「インスタグラムとかで見て気になったパンを片っ端から作る感じなのですが、今頑張っているというか練習?練習していると言っていいのかな(笑)。
今はハードパンにかなり挑戦している感じです。」とも答えていました。
きっとパン作りの腕を大学生活でも生かして、新しい友達にもその手作りパンを披露しているのではないでしょうか。
彼女は学業とフィギュアスケートの練習とを両立させながら、どちらも手を抜くことなく全力で取り組む姿勢を常に持ち続けていたことで知られています。
その熱心な取り組みは、学業成績だけでなく、スケートのパフォーマンスにも良い影響を与えていたと言えるでしょう。
大学2年生の時、住吉りをん選手はフランスのアンジェで開催されたグランプリシリーズの第3戦に参加しました。
このフランス大会のフリースケーティング部門で、彼女は日本女子としては初めて、4回転トーループを成功させる快挙を成し遂げました。
この成功は、彼女のスケートキャリアにおける重要なマイルストーンとなり、日本だけでなく国際的にも大きな注目を集める結果となりました。
住吉りをんのフィギュアの経歴は?
住吉りをん選手がフィギュアスケートという氷上の舞台に初めて立ったのは、わずか3歳の時でした。
このときはまだリンクで滑ることに慣れていない幼い子供が多い中、りをんさんは4歳でフィギュアスケートの教室に入り、本格的に技術を習い始めます。
フィギュアスケートにおいて重要なジャンプ技術の一つ、ダブルアクセルに挑戦し始めたのは、彼女が小学5年生の時でした。
以下に、フィギュアスケートキャリアの主な経歴をまとめます。
シーズン | 詳細 |
初期 | 4歳からスケートを始める。 |
2016年 | 全日本ノービス選手権ノービスAで108.25点を出し、歴代最高得点を更新して優勝。 |
2017-2018年 | 全日本ジュニア、全日本選手権に腰の靭帯損傷で出場できず。 |
2018-2019年 | ISUジュニアグランプリシリーズのカナダ、リュブリャナ杯(スロベニア)に出場し、カナダで3位。 |
2019-2020年 | 練習中に右足首の骨に亀裂が入り、約4か月間の安静を余儀なくされ、全国大会出場を逃す。 |
2021-2022年 | 第90回全日本ジュニア選手権で2位となり、世界ジュニアフィギュアスケート選手権に出場し8位。第71回全国高等学校スケート選手権大会で優勝。クープドプランタン2022(プランタン杯)で2位 |
2022-2023年 | シニアへ移行し、グランプリシリーズではフランスグランプリ、NHK杯の2戦に出場。初戦のフランスグランプリで個人最高を更新し、ショートプログラム5位からフリースケーティング3位で総合3位。 |
2023-2024年 | グランプリシリーズのフランスグランプリ、エスポーグランプリの2戦に出場。初戦のフランスグランプリでFSで4回転トウループを着氷し、自己最高を更新し総合3位。国際スケート連盟公認大会での4回転トウループ成功は日本女子初。 |
フィギュアスケートの練習は、ただ技術を覚えるだけでなく、厳しい体力作りや精神的な成長も伴います。
住吉りをん選手は、幼少期から青春期にかけて、多くの時間をリンクの上で過ごし、厳しいトレーニングに耐えながら、次第にトップスケーターへと成長していきました。
その努力は後に、大学入学時にフィギュアスケートの実績を評価され、スポーツ推薦での入学という形で認められることにつながります。
まとめ
いかがだったでしょうか?このように、住吉りをん選手のフィギュアスケートへの情熱と継続的な努力が、彼女の経歴を形作る大きな要素となっています。
以下の要点で、住吉りをんさんのフィギュアスケートキャリアと学歴についてまとめます。
- 幼少期からスケートを開始。きっかけは姉。
- 学生時代のフィギュアスケート練習
- 大学でのスポーツ推薦入学
- 国内外での競技成績
住吉りをん選手は、4歳からスケートを始め、学生生活を通じて技術を磨いてきました。
フィギュアスケートでの顕著な成果が認められ、大学はスポーツ推薦での進学となります。
彼女の経歴は国内外の大会で成功を収め、多くの若者に影響を与えています。
これからも彼女の活躍から目が離せません。