現在、ベルギー1部リーグのシント=トロイデンVVに所属する山本理仁選手は、司令塔としてチームを牽引する左利きのゲームメーカーです。
また、U-23日本代表の“大岩ジャパン”では副キャプテンを務め、パリ世代の選手たちを牽引してきた重要な存在でもあります。
きっと、大岩ジャパンの主力として活躍してきた山本理仁選手のプレースタイルに興味を持っている方も多いはずです。
そこで今回は、山本理仁選手のプレースタイルの特徴を詳しく解説していきます。
さらに、Jリーグ、ヨーロッパ、日本代表でのキャリアについても触れていきますので、ぜひ最後まで読んでみてください。
山本理仁選手のことを深く知って、パリ五輪に熱い声援を送りましょう。
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山本理仁のプレースタイルの特徴
画像引用元:日刊スポーツ
ここでは山本理仁選手のプレースタイルにおける特徴的な要素を、詳しく見ていきます。
まず、これまで山本理仁選手が所属してきた、東京ヴェルディ、ガンバ大阪、シント=トロイデンVVでのプレー動画をご覧ください。
山本理仁選手のプレーで特に印象的なのは、左足から繰り出される精度の高いキックではないでしょうか。
ペナルティーエリア付近から放たれる思い切りのよいミドルシュートや、ゴールに直結する正確なプレースキックが特徴的なプレーに挙げられます。
そして、これらのプレーを可能にしているのが「ピッチを俯瞰で見れる視野の広さ」です。
この“俯瞰力”に注目して、山本理仁選手のプレーの特徴を解説します。
“俯瞰力”を活かした創造的なプレー
山本理仁選手のプレースタイルの基盤は、“優れた俯瞰力”にあります。
サッカーにおける“俯瞰”とは、鳥の目で高いところからピッチ全体を見渡すことです。
例えば、どこに選手がいて、どのスペースが空いているかを瞬時に把握することで、卓越した状況判断が可能になります。
山本理仁選手は、この“俯瞰力”を活かした創造的なプレーを持ち味とし、次々とアイディア溢れるパスを通していきます。
東京ヴェルディ時代にチームの指揮をとった永井秀樹監督は、「決定的なパスを出す感覚に優れた選手」と、そのパスセンスを評しています。
試合のあらゆる局面で、なにが重要なのかを見極め、どの程度の確率で実行できるのかを判断できる“俯瞰力”が、山本理仁選手の精度の高いキックを引き出していることに間違いなさそうです。
山本理仁のポジションは?
画像引用元:JFA
山本理仁選手が主戦場とするポジションは「ボランチ」です。
ポルトガル語で「ハンドル」を意味するボランチは、言葉の通り、チーム全体の「舵取り」をすることが主な役割です。
左足からの精度の高いキックに定評のある山本理仁選手は、長短のボールを使い分け、中盤の底の位置から攻撃を組み立てていきます。
また、U-23日本代表では、いわゆる“2列目”にあたる「インサイドハーフ」としてのプレーで評価を高めています。
インサイドハーフは、トップ下としての役割をこなしながら、ボランチとしての仕事も求められる重要なポジションです。
攻守に渡ってプレーに関わる機会が多いため、攻撃力、展開力、スタミナなど、さまざまな能力が必要となります。
パリ五輪本大会では、同じポジションで活躍する藤田譲瑠チマ選手(シント=トロイデンVV)や、川﨑颯太選手(京都サンガF.C.)との連携にも注目です。
山本理仁はどんな選手?
画像引用元:PRTimes
山本理仁選手はどんな選手なのでしょうか。
ここでは、山本理仁選手の生い立ちを紹介していきます。
また、父親と永井秀樹氏(元東京ヴェルディ監督)。山本理仁選手のサッカー人生に大きな影響を与えた2人の存在にも注目です。
小学生・中学生時代
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山本理仁選手は、幼い頃から父親に連れられて近所の公園にボールを蹴りにいってました。
父親は、その日公園にいる一番うまい人に挑戦させながら、サッカーテクニックを磨かせたといいます。
最も衝撃的だったのは、ペルー人の集団だったと山本理仁選手は振り返ります。
「ペルー人たちはめちゃくちゃ上手かった。行くと、簡易ゴールを置いて、毎回ミニゲームをやっているんですよ。そうしたら、父から『お前、そこに入ってこい』って言われる。でも、小学校低学年の頃って、いきなり知らない人の中に入って行くのが嫌じゃないですか。みんなめちゃくちゃ上手いし、もうどうしていいか分からないですよ」
幼少期は、地元相模原市の「つくい中央FC」でプレーしながら、平日は「ヴェルディS.S.相模原のスクール」にも通い始めました。
そして、小学4年生へ進学する際には、父親の勧めでJクラブのセレクションに挑みます。
川崎フロンターレには落選するも、東京ヴェルディのセレクションに合格した山本理仁選手は、「東京ヴェルディジュニア」に加入することとなりました。
技術を重視する東京ヴェルディでの練習に打ち込んでいくと、徐々にその才能は開花していきます。
中学生では「東京ヴェルディJrユース」にステップアップし、中学1年生でJFAエリートプログラム(U-13日本代表相当の選抜チーム)に選出。
さらに、中学3年生になるとU-15日本代表に選出され、ここからは、この年代の日本代表を牽引していく存在となるのです。
高校生時代
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高校進学とともに、「東京ヴェルディユース」に上がった山本理仁選手は、クラブのレジェンドでもある永井秀樹監督のもとでサッカーの“イロハ”を叩き込まれました。
これまでの価値観とは全く異なる指導に対し、最初はまったく理解が追いつかなかったと言います。
「サッカーの考え方をぶっ壊された。ボールを持つことに対するこだわりは、今までにないもの。中3以前もボールを持てていたし、そういうスタイルに取り組んできた。でも、チームとしてもボールをどう支配するか。決まり事が多く、ゲームメイクするためのポジショニングを叩き込まれましたね」
新たな価値観への適応に苦しんだ一方で、永井秀樹監督との出会いは、山本理仁選手のサッカーに対する考え方を大きく変えていったようです。
「すごく楽しかった。練習も含めて、考え方についていけたし、自分のプレーにあっていた。むしろ、自分が生きて行く道だと思えたんです」
また、東京ヴェルディやガンバ大阪、日本代表でレギュラーをつかめなかった時期には、永井秀樹監督からもらった言葉が心の支えになっていたといいます。
「チャンスがこないのは恥じるべきじゃない。チャンスがきた時に自分のパフォーマンスを出せなかったことを恥じるべきだ」
引用:SPORTS BULL
試合に出れない時期でも腐ることなく、ポジティブな気持ちでトレーニングに取り組めたのは、この永井秀樹監督からの金言があったからに違いありません。
高校時代の東京ヴェルディユースでの経験は、今後のサッカーキャリアの基盤となったことでしょう。
山本理仁のキャリア
画像引用元:PRTimes
ここでは、山本理仁選手のキャリアを3つのカテゴリーに分けて紹介していきます。
- Jリーグでのキャリア
- ヨーロッパでのキャリア
- 日本代表でのキャリア
各チームでの活躍や成績を交えながら、山本理仁選手の成長プロセスを確認していきましょう。
Jリーグでのキャリア
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山本理仁選手がJリーグ時代に所属していたのは、東京ヴェルディとガンバ大阪の2クラブです。
こちらは、シーズンごとの成績一覧になります。
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | 得点 | アシスト |
2019年 | 東京ヴェルディ | 22 | 0 | 0 |
2020年 | 東京ヴェルディ | 35 | 1 | 0 |
2021年 | 東京ヴェルディ | 30 | 1 | 0 |
2022年 | 東京ヴェルディ | 17 | 1 | 1 |
2022年 | ガンバ大阪 | 2 | 0 | 0 |
2023年 | ガンバ大阪 | 11 | 0 | 9 |
2019年、17歳のときに東京ヴェルディユースからトップチームに昇格し、1年目から公式戦22試合に出場すると、2020年シーズンのJ2リーグ第29節京都サンガF.C.戦でプロ入り初ゴールを決めます。
2021年シーズンは、セントラルMFのポジションからのゲームメイクでチームを牽引。
その活躍がU-23日本代表の大岩剛監督にも認められ、2022年3月には“大岩ジャパン”の立ち上げ合宿に参加します。
このU-22日本代表での経験が、Jリーグでのキャリア転換期となります。
2022年に開催されたEAFF E-1サッカー選手権に、U-22日本代表から藤田譲瑠チマ選手(当時J1横浜Fマリノス)、細谷真大選手(当時J1柏レイソル)、鈴木彩艶(当時J1浦和レッズ)がA代表として選出されたのです。
山本理仁選手は東京ヴェルディで充実のシーズンを過ごしていたものの、J2リーグでのプレーに徐に焦りを感じ始めます。
「その時期(2022年7月)に行なわれたE-1選手権で、同じ世代からジョエル、細谷真大(柏レイソル)、鈴木彩艶(浦和レッズ)の3人がA代表に選ばれて、やっぱり悔しかったし、早くレベルを上げないと置いていかれるっていう危機感もあって……。」
引用:Sportiva
そして、2022年7月、幼少期から過ごしてきた東京ヴェルディを離れ、J1リーグ所属のガンバ大阪への移籍を決断します。
ガンバ大阪では、移籍直後のメディカルチェックで骨折が見つかるなどのアクシデントもあり、2シーズンを通してリーグ戦13試合の出場にとどまりました。
しかし、日本トップリーグでのサッカーのテンポや、プレースピードを体感したことで山本理仁選手のプレーに磨きがかかります。
このJ1リーグでのキャリアが山本理仁選手の向上心に火をつけることとなり、シント=トロイデンVVから届いた獲得オファーに「Yes」の即答をしました。
ヨーロッパでのキャリア
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2023年6月30日、ベルギーリーグ1部シント=トロイデンVVへ期限付き移籍での加入が発表されました。
こちらは、山本理仁選手の海外移籍1年目の成績になります。
シーズン | 所属クラブ | 試合数 | 得点 | アシスト |
2023-2024年 | シント=トロイデンVV | 33 | 0 | 0 |
2023-2024年シーズンはベンチスタートが中心だったものの、リーグ戦では33試合に出場し、徐々にチームの信頼を勝ち取っていきました。
さらに、海外移籍によって山本理仁選手のプレースタイルは変化を遂げます。
Jリーグ時代は、左足のキックからチャンスを演出する“テクニシャン”を印象づけるプレーが目立ちましたが、そこに「フィジカル」や「スプリント」といった力強さが加わりました。
山本理仁選手自身も、海外移籍1年目でのレベルアップを実感しているようです。
「やっぱり日本より(試合の)展開が速いですし、今まで触れていないサッカーではあったんですけど、そのなかでやることによって、GPSのデータは確実に伸びてきて、走行距離やスプリントの数がチームトップだったり、今までの僕だったらありえないような結果がデータ的にもしっかり出てきている。そういった意味では、自分の成長は感じています」
引用:Sportiva
2024年6月には、加入1年目の活躍が評価され、シント=トロイデンVVへの完全移籍が正式に発表されています。
来シーズンは、ゴールやアシストといった数字でのアピールに成功することで、レギュラー定着への道が見えてきそうです。
もちろん、その先に見据えるのは、欧州5大リーグへの移籍やA代表への招集であることは間違いありません。
日本代表でのキャリア
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山本理仁選手の日本代表キャリアは以下の通りです。
シーズン | 代表カテゴリー | 大会等 |
2015年 | U-15日本代表 |
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2016年 | U-15日本代表 |
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2017年 | U-16日本代表 |
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2018年 | U-17日本代表 |
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2018年 | U-18日本代表 |
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2018年 | U-19日本代表 |
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2019年 | U-18日本代表 |
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2020年 | U-19日本代表 | - |
2021年 | U-20日本代表 | - |
2022年 | U-21日本代表 |
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2023年 | U-22日本代表 |
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2024年 | U-23日本代表 |
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山本理仁選手は、2015年にU-15日本代表に選ばれて以来、各カテゴリーの常連として招集メンバーに名を連ねています。
しかし、これまで世界大会のピッチに立つ機会には恵まれませんでした。
2017年開催のU-17ワールドカップは学年が1つ足りずに縁がなく、主力として期待された2021年のU-20ワールドカップは、新型コロナウイルス感染症の影響で開催が中止となっています。
そして、ようやく世界大会へのチャンスをつかみ取ったのが、2024年のパリ五輪です。
山本理仁選手は、パリ五輪へかける熱い想いを次のように話しています。
「そこで活躍することができれば、自分の価値を高められる大会だと思いますし、またチームとして、日本の新たな歴史を作るためにメダル獲得は目指していきたいです」
引用:SOCCER KING
パリ五輪での活躍が認められれば、おのずとA代表への道が開けるでしょう。
山本理仁のプロフィール
画像引用元:ゲキサカ
山本理仁選手のプロフィールは以下の通りです。
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神奈川県出身の山本理仁選手は、高校2年生ながら、2019年に東京ヴェルディのトップチームに昇格。
2022年にガンバ大阪へ完全移籍すると、2023年には、ベルギー1部シントイ=トロイデンVVへ期限付き移籍を果たしました。
2024年のパリ五輪メンバーにも選出され、今後の更なるステップアップが期待されています。
まとめ
今回は、山本理仁選手のプレースタイルの特徴を解説してきました。
この記事のまとめは以下の通りです。
- プレースタイルの特徴:左足から繰り出される精度の高いキックと “俯瞰力”を活かした創造的なプレー
- ポジション:ボランチ・インサイドハーフ
- サッカー人生に影響を与えた人物:父親と永井秀樹監督(元東京ヴェルディ監督)
- キャリア:所属クラブ歴→東京ヴェルディ(J2)・ガンバ大阪(J1)・シント=トロイデンVV(ベルギー1部) / 日本代表歴→U-15・U-16・U-17・U-18・U-19・U-20・U-21・U-22・U-23、各世代の日本代表の常連
山本理仁選手は「精度の高い左足でのキック」を武器に、パリ五輪世代の選手たちを牽引してきた存在です。
悲願のメダル獲得に向け、熱い想いでパリ五輪に挑む男のプレーをみんなで応援しましょう。